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菅直人

いまこそ「団塊党」

(かん・なおと)1946年山口県生まれ。東京工業大学理学部卒。74年故市川房枝さんを参議院全国区に担ぎ出し選挙事務長として活躍。77年故江田三郎氏の要請で社会市民連合に参加。80年衆参ダブル選挙で社民連から立候補し初当選。94年「新党さきがけ」に参加。96年厚生大臣に就任し薬害エイズ事件の処理ではじめて行政の責任を認めた。鳩山由紀夫氏らと民主党の結成に参加し二人代表の一人に。97年新体制のもと、民主党の一人代表に。その後、民主党政策調査会長、民主党幹事長を経て、02年年再び民主党代表に就任。04年年金未納問題で民主党代表辞任。その夏「自分を見つめ直したい」として四国八十八カ所巡りを行った。05年、衆議院議員に九選。9月代表選挙に立候補するが二票差で前原誠司氏に敗れた。

厚生大臣当時の薬害エイズ事件やO‐一五七騒動
最近では、年金未納問題や四国八十八箇所巡りと
何かと話題の多い菅直人氏
今度は「団塊党」構想を打ち出した。
この構想、政界再編へとつながるのか、その真意をうかがってみた。

木村― ぼくも菅さんと同じ1946年生まれですから、最初の団塊の世代になります。菅さんが「団塊党」を立ち上げるということで、ぜひお話をうかがいたいと思ったんです。「団塊党」を立ち上げようというのは、どういうお考えからですか?

菅― 直接のきっかけは、昨年の10月、私の地元の武蔵野市で市長選挙があったんです。その選挙運動で、朝夕、駅前でビラ配りをしていたのが60、70代の男の人たちだった。昔はビラ配りといえば、20代の若い人がやったもんでしょ。それが60、70代の会社をリタイアした人たちだった。彼らと話してみると、現役時代はそれなりの地位にいた人たちでした。そういう人たちがリタイアして地域に戻ってくると、地域には会社社会とは別のルールがあるんですね。それが例えば選挙運動を通じて、そのルールに慣れて、新しい人間関係ができてくる。社会と新しい関係をつくろうとしているんだと感じたんです。そういうことを見て、団塊党だと思ったわけです。
 そのすぐ後、あるパーティの時でしたが、前原君もいたもんで、「いま新党運動をやってます」と宣言したのが最初なんです。(笑)

木村― 会社人間から社会人間になれということですね。

菅― 特に大都市のサラリーマンは、隣の旦那の顔を知らない。女性はゴミを出したり、子供の関係なんかで、隣の奥さんの顔を知らないということはあり得ないんです。そんな男たちが地域に戻ってくる。
 退職後、家でゴロゴロしている亭主は、ちょっと前は「濡れ落ち葉」「わしも族」とか言われ、いまは「亭主在宅ストレス症候群」です。木村さんも気をつけた方がいいですよ。(笑)

木村― ぼくはあんまり在宅してませんから。(笑)

菅― いまはいいんですよ。現役のうちはいい。でも会社を退職したら、仕事をやめたら、あとは死ぬのを待ってるなんて、おもしろくも何ともないじゃないですか。ですから60歳から80歳ぐらいまでの人生を、生き甲斐をもって、死ぬまで尊厳をもって生きていく。リタイアした人たちが地域に戻ってきて、いろんな活動に参加するときに、それを支援する運動をつくろう、そういう考えが団塊党なんです。

木村― 民主党に代わって団塊党というわけではないんですね。

菅― いわゆる政党ではなくて、甘党とか辛党だとか日本酒党とか……そういうものです。木村さんも団塊党、団塊世代は全部団塊党なんです。ですからほっといても一千万党員にはなるわけです。(笑)

木村政雄編集長 Special Interview

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