木村― ドリフへ入られても、周りは全部先輩じゃないですか。一人だけ若いですよね。つらかったでしょうね。
志村― でもね、落語家さんは弟子にすごい厳しいとかって聞いてましたけど、ドリフターズって新しい分野で、確かに厳しいんですけど、仕事さえきちっとやってれば、それ以外はわりと普通にわあわあやってました。
木村― 楽屋なんかでも、いちばん若いから「あれ、買ってこい」とかそういうことはなかったんですか。
志村― メンバーになってからはなかったですね。歳が離れすぎてますからね、親みたいなもんで、礼儀さえちゃんとしてれば、わりと大丈夫でしたね。
木村― でも、最初は荒井注さんのイメージが残っていますから、なかなかつらかったでしょう。
志村― そうですね、なんとなく「なんだ、こいつ」っていう目を感じますからね。「とんねるず」の石橋貴明さんが、僕が入ったばっかりのときに、見に来たらしいんですよ。「なんだー、こいつよー」って怒ったらしいです。どうしても、そういう目で見られる。やはり荒井さんの存在は大きかったですからね。
木村― それはきついですよね。違和感がなくなり、「あ、オレもメンバーの一員になれたなあ」と思われたのは何年ぐらい経ってからですか。
志村― 一年経ったぐらいで「東村山音頭」が受けて、それが受けると、ほかのことまで受け始めてきて、そのへんからですかね、みんな「ああ」となってきたのが、たぶん。
それまでやはり一年ぐらい、自分のなかではただ一生懸命やっているだけなんですよね。でも、一生懸命やっているだけでは笑ってくれない、というのはわかりましたね。
木村― チームプレーですからね、やはり大変ですよね。一時期ちょっとドリフとして低迷したときがあるじゃないですか、ゴールデンタイムの番組がなくなって。あの頃、われわれは一生懸命大阪で頑張ったんです(笑)、「ドリフターズの次はおれたち」ということで。ドリフのように「練り上げた笑い」が否定的に見られて、どっちかというと、大阪の「その場の笑い」がもてはやされた時があるじゃないですか、80年代に。
志村― 「ひょうきん(オレたちひょうきん族)」の頃ですね。
木村― ええ、その頃、どう思われました?「あんなもの、いずれだめになるよ」と。
志村― いや、「全員集合」は生放送だったので、「ひょうきん」はほとんど見てないんですけど、笑いをやってる連中って、別に「あれが悪い、これが悪い」とかってあまり言わないんですね。ドリフのメンバーも「同じ仲間じゃないか。ただ、笑わせる方法が違うだけ」って、「おれたちはこれしかできないんだから」っていうことですよね。
木村― 僕が「やす・きよ」のマネージャーをやってた頃に、何の番組だったか、ドリフの番組にゲストで出演したことがあるんです。ドリフは3時間ぐらいみんなでずうっと考えていて、そのまま何もしないで帰ったことがあって、「よくやってるよな」と思いました(笑)。漫才の人って「わーっ」と喋って笑わせて帰るじゃないですか。いまでも2時間番組に4日ぐらいかけられるようですけど、大阪の人間には信じられないですね。
志村― それだけあちらには技があるんでしょう。僕らはそうやってつくらないとできないですものね。こればっかりはそういうつくり方しかいまだにできないですね。
木村― でも、その強さってありますよねえ。誰も何も喋らなくてじーっと(笑)。萩本欽一さんなんかもそうなんですよね。誰も帰れない、動けない。
志村― 「全員集合」の稽古なんて、決まらないでずうっと夜中まで続くときは、みんなが、黙って……ずうっとその空気のままで(笑)、「いやなところに入ってきちゃったな」というのはあります。
木村― 帰れないですものね、やっぱり。
志村― 作家とかいっぱいいましたけど、結局、だめですからね。「どうせ、ドリフがつくるんだろう」と思って、そのぐらいのことしか書いてこないじゃないですか。
木村― あれは大阪にない空気だと思いますね。びっくりしました。
志村― 他にもないんじゃないですか、あんまり。あんな楽しいことをやってるのに、あんなに暗いですもの。いまでも、僕らでも暗いです。
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