閑話休題。さて東山温泉は会津若松に所在する。会津若松といえば白虎隊を想起するが、歴史観にうといぼくは史跡にはあんまり興味がない。史跡には人間の感情や情念が深く沈澱していて、ぼくには死の想念が怨霊になって波のように打ち寄せてくる。そして時には鳥肌が立つことさえある。特に会津若松は数奇な歴史のドラマが繰り広げられてきた土地だけに、どうも生理的に体がついていかないのだ。でも会津若松の象徴でもある若松城(鶴ヶ城)の天守閣だけには登りたいと思った。ところが城内に入るなり、なんじゃこれ、という違和感に襲われた。以前姫路城に登った時のような緊張感を期待していただけに、観光客相手のお城ミュージアムにリニューアルされたこの城には少々裏切られた気分でもあった。他に野口英世青春館と白虎隊記念館を訪ねた。白虎隊の悲劇的な物語には、うっかりすると対象に感情が埋没しかねない。そこんところはサラッと表面だけを撫でて通り過ごすことにして、東山温泉に向った。
山あいの渓谷に面した温泉郷に入ると、急に空気が清浄になり、体に付着した死の想念がここでさっぱり洗い流されるような気分になった。そ、その時、タクシーの運転手の余計な一言がぼくを魔界に突き落とす羽目になってしまったのである。なんでも温泉街のあるホテルの風呂場で看護婦が殺されたという話などされたものだから、それと来る時に読んだ泉鏡花の『眉かくしの霊』で風呂場に出る女の幽霊の話とが、ぼくの頭の中で重なってしまったのである。
一旦恐怖がぼくの頭の中で形象化してしまうと、体内の血液がいっぺんに凝固してしまったようになるのだった。だから旅館に入るなり早々にまだ外が明るいうちに風呂に行くことにした。浴槽の壁にはほぼ等身大の裸婦の彫像が大理石に深く刻み込まれていた。体半分が大理石の中に埋め込まれていて、当然顔も食い込んでしまっている。そんな裸婦像を湯船の中から眺めていると、急に女の首が肩越しにくるりとこちらに振り向いて「お湯のおかげんはいかがですか」なんて言いながらニタッと笑いでもしたら、腰を抜かすにきまっている。そんな怪奇な妄想にとらわれ始めたので、ぼくはあわてて体も洗わずに風呂場から長い廊下を走るようにして部屋に逃げ帰ったのである。
旅館の横の川原に頑丈な鉄骨の屋台が建てられ、屋台から四方八方にまるで蜘蛛の巣を張りめぐらしたように紅白に彩られた無数の提灯がぶら下がっている。夕食が終る頃、屋台では芸者が演歌に合わせて踊り始めた。われわれもさっそくゆかたがけで表に飛び出した。芸者が踊る合間に、女白虎隊に扮した人たちが剣舞を披露した。アトラクションはすぐに終って、くじ引き会が始まった。なんと最初に呼ばれた当り番号がぼくのもので、Mさんと妻は歓声をあげた。Mさんなんかは手を振りながら「当たりました」と大声を上げながら屋台の下に駆け寄っていった。当たった本人はなぜか実は恥ずかしいものである。
東山温泉
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