昨夜はあんまり眠れなかったので早々に部屋に帰り、眠ろうとしたがなぜか体の細胞が固くなっていて、目に見えない恐怖が皮膚の表面をなでまわしているような雰囲気になってきた。どこで泊っても眠る時は部屋を真っ暗にするのに、この日ばかりは電気を消す勇気がなかった。部屋は本館から廊下続きの離れになっていて、三部屋続きで、その周囲をぐるりと廊下が取り囲んでいるという、じつに奇妙な構造の建物になっていた。
ぼくと妻は中央の部屋を空けて端と端で寝ることにした。結局、ぼくは言葉では言い難い恐怖心のため、外が白々となる四時過ぎまで起きていた。妻はといえば、夜中に三度もトイレの水を流す音と板戸を閉める音を聞いたものだから、大変怖くてぼくと同様眠れなかったという。離れだから他人がトイレを使うというようなことは絶対にあり得ないし、ぼくもトイレに行くのが怖かったものだからジーッとふとんの中で小さくなっていたと妻に話すと、彼女はてっきりぼくがトイレに行ったものと思ったけれど、廊下を歩く足音を聞いていないので、やはりあれは怪奇現象に違いないと思って、身を固くしていたそうだ。普段から彼女はこういう非合理なことに恐れるというタイプの人間ではないのに、今回だけは本当に恐怖を感応したといい、「私もこのような超常現象を遅まきながら感じるようになったのかしら」と嬉しいのやら怖いのやら、わけがわからない複雑な心境を吐露した。
そうか妻もついに魔界と接触して形而上的な恐れを体験するに至ったかと思うと、何が起こるかしれないのが旅の愉しみになってきた。旅というのは日常から遠くへ離れることである。肉体は遠くに移動するけれど、じつは最も自分に近づくことでもある。遠くに行けば行くほど、内なる自分に戻るのが旅でもある。普段隠されている感性が旅の空気に触れて、にわかに俊敏に活性化する。肉体的存在としての自己は同時に霊的存在でもあるということに気づかされるのも旅の贈り物でもある。
帰路、裏磐梯の裾野にある五色沼の近くの諸橋近代美術館に立ち寄った。この美術館にはダリの彫刻が三八体もあり、ダリの傑作のひとつでもある大作「テトゥアンの大会戦」の絵もある。以前にもこの美術館に来たことがあるが、この絵だけは何度見ても見つくせない様々な謎を投げかけてくるのである。
さて、次の温泉行は金沢の山中温泉である。それにはちょっとしたわけがある。
東山温泉
横尾忠則(よこお・ただのり)1936年生まれ。グラフィックデザイナーとして60年代から国際的な評価を受け、80年代の「画家宣言」以降は、人間の記憶や感情をテーマにした絵画活動を中心に、多彩な創作活動を続けている。1月には作品集『横尾忠則Y字路』(東方出版)が刊行され、3月から5月まで、パリのカルティエ現代美術財団で個展が開催された。新刊として、自らの病気遍歴をまとめた『病(やまい)の神様』(文藝春秋)がある。
![[ファイブエル] 団塊世代のエンターテイメント誌 Entertainment Premium Magazine](/img/header_title_in.gif)



![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)