木村― それから高校1年の時にNHKの帯ドラマ『バス通り裏』でデビューするわけですね。『バス通り裏』って朝7時15分からでしたか。
十朱― いえ、夕方です。7時がニュースで、ニュースの後でした。
木村― だから、みんな見てましたよね。
十朱― いまみたいにチャンネルも多くなかったですから。
木村― たしか宗方勝己(当時は谷川勝巳)さんとか佐藤英夫さんが出てましたね。それから、岩下志麻さんもお出になったんですね。
十朱― 岩下さんは準レギュラーで出てらした。他にもいろんな方がいらっしゃいました。
木村― 僕は、当時の『事件記者』(NHK)というドラマを見て新聞記者にあこがれましてね。なれなくて吉本興業に入ったんですけど。そのぐらい影響力はありました、テレビってね。
十朱― おもしろかったですねぇ、あのころの『事件記者』。『七人の刑事』(TBS)もおもしろかった。
木村― 『ダイヤル一一〇番』(NTV)とか、怖くてトイレへ行けなかったのを覚えてます。でもこの頃は、テレビのほんとの初期ですね。この前、中村メイコさんにお会いしたら、2歳か3歳で初出演とおっしゃってました。
十朱― そうそう、中村メイコさんもご家族で奈良に疎開されてらして、私、小さいとき、メイコさんのお宅に何回か泊めていただいたんですよ。だから、いまだにメイコお姉さまに会うと、そのころみたいに「あら、サッコちゃーん」と呼ばれるんです。
木村― 中村メイコさんも奈良にいらしたんですか。
十朱― お母さまが女優で、「にんじん」という舞台にメイコさんも子役で出ていらして、私の父もその舞台に出たんです。メイコさんのお宅には、お人形さんのお部屋があったんですよ。メイコさんはもう名子役でしたから、きっとプレゼントのお人形だったんですね。いまみたいに大きなぬいぐるみなんてなかったころでしたから、等身大の大きなお人形さんがあって、その部屋へ行きたくてね。泊めていただいたときに、おねしょをしてしまって、一番大きいお人形さんのパンツをはかせられたのを覚えてます(笑)。
木村― へえぇ。大女優お二人が奈良にいらしたとは、驚きですね。
木村― お父さまも俳優の仕事をなさっていて、芸能界に早くから入られて、それからなんかスッとこられて、挫折とかそんなものぜんぜんなかったように思いますけれども。
十朱― 挫折感はあんまりないんですけど、焦りはいつもありましたね。こんなにノンビリしてていいのかなとか、こんなに同じ役柄ばっかりやってていいのかなとか。同世代の人たちを見ていると、みんな大人の役をやってるのに、私だけいつまでも『バス通り裏』の元子さんみたいな仕事しかしてなくて、ずいぶん焦ってた記憶はあります。
木村― どちらかというとNHKっぽくて、いいお嬢さんで「お嫁さんにしたい女優」ナンバーワンというイメージが昔はずっとあったじゃないですか、優等生のイメージが。そういうものがなくなってきたのはお幾つぐらいのときですか。
十朱― 仕事がおもしろくなってきたのは、もうほんとに遅いんですけど、ふり返ると20年くらい前かなと思うんですよ。
木村― 一番の転機は、やっぱり『魚影の群れ』という映画ですか。
十朱― ウーン、たしかにあの作品は、それまでとはガラリと違う役でしたからね。自分ではそんなにどこが違うかとか、節目とかが分かっていないんです。
やはり、舞台の仕事を始めて、少しずつやっといろいろなことができるようになったかなと思い始めたころでしょうか。
木村― やっぱり舞台は楽しいですか。まあ映画は映画、テレビはテレビの楽しさはあるんでしょうけれども。
十朱― 楽しいというより、俳優に課せられる部分がすごく多大なので、やりがいがあります。長い日数で体力勝負なので、充実感は映像の仕事よりあるかしら。
木村― 反応も返ってきますしね。
十朱さんは新しいことにどんどんチャレンジして自分の鮮度を保っていくタイプですね。
十朱― そうですね。いまもそういうふうに心がけてはいるんですけど、なかなか最近は、チャレンジさせていただけるような役柄も少ないものですから。でも守る態勢に回ったらおしまいかなとは、思ってるんです。
木村― そこがやっぱり若さの秘訣のような感じがしますね。
十朱― もうひとりで食べていくだけですから、ありがたいことに、しゃかりきになって生活のために仕事をしなくちゃあということはないんです。ですから、やりたいことをやって、最後までいけたらうれしいなと思ってるんですよ。やっぱり好きで入った道というのでしょうか。