ようこそ ゲストさん [ログイン]


トップページ > バックナンバー > 特集 挑戦する人々 > 

  • 印刷
  • 大
  • 中
  • 小

杉野正

しなの鉄道、埼玉高速鉄道を再生させたサラリーマン社長

経営改革は単純なものである

 「この会社は、何もないところに新しく鉄道をつくった。ですから、街をつくり、お客さんを見つけていかなければいけないわけです。それに、埼玉スタジアム2002にサッカー観戦のために浦和美園駅へ来ていただくだけでなく、継続的に利用していただかなければ、安定収入にならない。地域との連携が重要になるわけで、地域を活性化させることで、鉄道が生きてくる。そして逆に鉄道が生きて、地域も活性化する。シナジー効果を考えなければならず、鉄道の経営だけを考えていけばいいというわけではないのですから、これまでの仕事より大きなものだったと思います」
「はやくリタイアして、五席くらいのレストランを始めたいんです。でも、まだ当分、無理だろうな……」(杉野社長) なぜ、埼玉高速鉄道再生の舵手に、杉野氏に白羽の矢が立ったのか? もちろん、彼に実績があったからだ。02年、田中康夫長野県知事から要請され、旅行会社エイチ・アイ・エス開発管理室室長から、しなの鉄道株式会社の社長に就任。長野・北陸新幹線開通でJR東日本から旧信越本線・軽井沢駅~篠ノ井駅間の鉄道の移管を受けて設立された同社も、第3セクター。"お役所仕事"による放漫経営で赤字が続き、01年度決算ではついに債務超過に陥り、破綻寸前だった。
 「しなの鉄道は、信越本線という歴史がありましたからね。住んでいる人々の生活の足になっていて、働いている人たちもほぼ地元でしたから、生活の足を確保するためには、どんなに厳しいことをやっても、理解してくれました」
 現在のしなの鉄道線が走る旧信越線は、1888年に開通。しかし、新幹線開通で長距離客は激減、沿線住民数も激減していた。今年9月に第3セクターによる運営の新交通システム・桃花台線(愛知県小牧市)が廃線になったが、しなの鉄道も同様の危機に直面していたのである。
 「しなの鉄道の難しさは、完成されているところでした。鉄道としてできあがっているところから、売上げを伸ばす方法を考えなければならない。つまり、クルマから電車に乗り換えてもらうような作業、いままで使っていなかったお客さんを鉄道に呼び込むことに注力したんです」
 高齢乗客の介助を行う「トレインアテンダント」や「サポーター制度」など、斬新な施策を導入。また、増収策の一方、コスト一律三割ダウンを厳命、経営の大手術を行った。結果、社長就任わずか2年で「償却前損益」(経常損益から減価償却費を除いた損益)を黒字転換させた。
 「経営改革は単純なものだと、考えているんです。大きく言って、答えは2つ、トップとディテールなんですよ。トップである経営者、リーダーはしがらみがあると、経営改革はできない。ディテールというのは、改革は細かいことによってこそ進めることができるという意味です。学者は方向性や戦略など大きなことを指摘するけれど、そんなことは改革の現場ではそれほど関係ないんですよ。小さなことが大切であって、その積み重ねが改革になるんです。それに、改革という変化は嫌なことだから、みんな顔を斜めに向けている。そういう人たちの顔を真っ直ぐに向けるためには――結果を出すしかない。大きなことをやろうとすると、結果が出てくるのは5年も10年も先の話になってしまうけれど、小さなことならば、すぐに結果が出ます。しがらみなく、小さなことを積み上げ、赤字を黒字にするのは、それほど難しくはない。そして、それがモラールアップになるわけです。そういう考え方、方法論で、僕はしなの鉄道も、埼玉高速鉄道も、劇的に変えることができたと考えています」
 埼玉高速鉄道でも、社長に就任した04年度にはやくも「基礎的収支」(借入金と減価償却費を除いた営業収支)を黒字にさせた。そして、03年度に13億3800万円だった「償却前損失」を05年度には5800万円に圧縮、06年度決算では黒字転換できる見込みだ。

特集 挑戦する人々

一覧(25件)

ファイブエルストア

[ファイブエル]バックナンバー