館長に館内を案内していただきながら、明日からオープンするという川崎和男さんの展覧会の飾りつけに立ち会っていた作家本人にも会うことができた。川崎さんは以前テレビで自分が工業デザインの道に入った切っ掛けは、ぼくの作品に触れたことだったと語っておられたので、初対面だったが特別の親密感に溢れた。
簑館長はこの夜伊勢文化財団の伊勢氏の主催される茶会に招かれておられ、われわれも誘われて行くことになった。伊勢氏とは以前に一度お会いしている。茶会には伊勢氏のコレクションが展示されるというので、それが楽しみだと簑さん。展示作品は初めて見る俵屋宗達の「群鹿図屏風」と山口長男の抽象絵画だった。「群鹿図屏風」に描かれている複数の鹿の白いお尻の配置の見事さに感服する。同時に画面を対角に天地を分離した大胆なモダニズム感覚。伊勢氏夫人のこの作品への強い要望に屈して購入されたそうだが、さすがお目が高い。山中温泉の旅館「胡蝶」に八時までにチェックインしなければならなかったので肝心の茶会に出席する時間がなくなり、残念だったけれど早々に引き上げ、タクシーで山中温泉に向かうことになった。とにかく今日は芸術と伝統文化一色のさすが金沢、充実した長い長い一日でした。旅は住んでいる土地から離れるというだけで、いくら旅先で忙しいといっても休息になる。それは責任から解放されるからだ。責任から解放されるとき人は無心になれる。そのためにも人間はしばしば旅に出るべきだ。見聞を広げるだけでなく日頃の誤謬(ごびゅう)を正してくれる。われわれの温泉旅行はだいたい一泊二日だけれども、この位の短さがかえっていい。それ以上になると、ぼくの場合は創作の禁断症状を起こしてしまって、やたらと絵筆が握りたくなるのだ。
さてさて、真っ暗になって旅館にチェックインすると同時に夕食の用意ができていたが、ぼくはその前に急いでひと風呂浴びることにした。浴槽はそんなに広くないが、入浴者はぼくだけだった。湯につかると多忙だった一日の疲れが湯船のお湯があふれ出すように流されていく。と同時に毛穴から温泉のエネルギーが体中の細胞にジワジワとしみわたる。お湯は塩分が含まれているのか海水のようにやや塩っぱい。
慣れない畳の上で寝るせいか、旅館ではいつも不眠気味だが、そんな不調も翌朝の快晴が払いのけてくれた。旅館の下を流れる清流に沿った遊歩道を散策しながら勅使河原宏さんがデザインしたという鼓の形をした赤い吊橋を渡る。ぼくは高所恐怖症のくせに吊橋だけは好きなんだ。だけどこの吊橋は鉄骨とコンクリート製で、吊橋のスリリングは欠如している。にもかかわらずフィジカル、メタフィジカル両方の恐怖を一気にかかえた何にでも怖がる妻はこの揺り籠程度のまあ震度でいえば1ぐらいだけれど、近くで作業中の作業員が何事かと驚くほどの悲鳴をあげて橋の上で立ち往生している。よほど彼女は前世で怖い体験をしたらしく、そのカルマが未だ解消しておらず、DNAの因子にその記憶が残留しているようだ。前回でぼくは旅の醍醐味は未知の危険が口を開けて待ちかまえていることだと書いたが、彼女は早速それを体験したことになる。
山中温泉
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