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クラブ 白いばら

創業昭和6年 老舗クラブ

「イッツ・ア・ショータイム」。午後8時と午後10時。ショータイムの始まりを告げる、司会者の声が響く。ダンスフロアから中二階の生バンド席に電飾階段が架けられ、ショーガールたちが降りてくる。彼女たちは、激しく踊り、昭和歌謡を歌う……30分のショーが終わると、お客さんからおひねりが!! 銀座三丁目、銀座通りから一筋入ると、ガス燈通り。天ぷらのハゲ天、和食のらん月、洋食の煉瓦亭……老舗、名店が並ぶこの通りに日が暮れると、ひときわ嫣然(えんぜん)と輝くネオンがある。「白いばら」、高度経済成長期に大盛況だった"グランドキャバレー"の雰囲気が遺るクラブだ。
 「昔はもっと大きな店をグランドキャバレーと言っていたけれど、もうキャバレーは銀座にうちしかないからね」
 「白いばら」を経営する富士商事株式会社の大住政弘社長は言う。だが、2フロアに83卓200客席、ダンスフロアに市松模様の床、赤いベルベッド素材のソファ、中二階で生バンドが演奏、電飾が燦きらめく店内は、昭和30、40年代の日本映画で描かれたキャバレーそのものだ。
 創業は昭和6年。モボ、モガ(モダンボーイ、モダンガール)が銀座を闊歩していた時代、現在の場所で大住社長の父親である先代が店を開いた。
 「最初は割烹だったそうです。関東大震災後に両親が広島から上京、深川に「広島屋」という店を開店。8年後に、念願の銀座に移転したんです」(大住社長)
 しかし、割烹はうまくいかず、数ヵ月後にカフェに転業。そして世相の流れに乗り、「麗園」「ミス親類」「第一銀座」……店名を変えながら、店は繁盛した。
 「店を広げていきながら、11回ほど、店名を変えています。とくに戦前・戦後の「ニュー・タイガー」は千客万来の賑わいでした。親父がよくコボしていたんです。『店が流行るのはいいけれど、女給さんへのツケ払いのお客が多いから、現金が入ってこない』とね」(大住社長)
 「ニュー・タイガー」は菊池寛、永井荷風ほか文士たちが通い詰めていた「タイガー」の女給、従業員を引き取って開店(荷風の小説「つゆのあとさき」の主人公は、「タイガー」の女給・お久がモデル)。2.・26事件の前夜、一部の青年将校が集ったとされる伝説の店でもある。


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