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愛川欽也 俳優

恋する勇気を

(あいかわ・きんや)本名=井川敏明。愛称=キンキン。1934年生まれ。東京都豊島区巣鴨出身。県立浦和高を経て、51年、俳優座養成所(三期生)に入所。俳優座スタジオ劇団三期会に参加。その後ジャック・レモンのアテレコなどで注目される。「それゆけ歌謡曲」「パックインミュージック」(TBSラジオ)などのディスクジョッキーでも活躍。テレビでは、「11PM」(NTV)や「なるほど! ザ・ワールド」(フジテレビ)などの司会で人気を得た。映画では、「やもめのジョナサン」役で主演した『トラック野郎』シリーズ(東映、75年~79年、全10作、監督=鈴木則文、共演=菅原文太)が大ヒット。78年にうつみ宮土理(愛称=ケロンパ)と結婚。98年に劇団民芸「勤皇やくざ瓦版」で舞台出演。最近のレギュラー番組には、「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)、「愛川欽也 パックイン・ジャーナル」(朝日ニュースター)、「キンキンのサンデー・ラジオ」(文化放送)などがある。書き下ろし小説『黄昏れて初恋』(あ・うん)が11月上旬発売された。

日曜の夕方、ラジオの生放送の後
自ら主宰する劇団キンキン塾の稽古場でインタビューは始まった
しゃべる、しゃべる……聞きしにまさる「おしゃべり」
テレビ、ラジオ、芝居、小説……
何ごとにもエネルギッシュなキンキン、72歳!

木村― 高校をお出になって、俳優座の養成所に入られた、三期生ですね。

愛川― 三期は、1951年に募集したんですけど、養成所がきちんとでき上がった第一期みたいなもの。だから、すごく応募者が多くてね。たぶん10倍ぐらい、大変な狭き門でしたね。同期には、穂積隆信、当時の四方正夫、いまは新派で安井昌二ですけど、それから渡辺美佐子さん。
 当時の俳優座の養成所というのは、ほんとに月謝も安くて、教授陣はすばらしくてね。ここでの3年間はとっても幸せな時代だったと思いますね。

木村― それからどうなさったんですか。

愛川― 僕ら三期生が出たときは、上がもうパンクしそうに膨れてて、だから、周りにスタジオ劇団が生まれたんです。そこにみんな行きましたね。僕らは「三期会」というのをつくったんです。

木村― そのころは、まだ食えませんよね。

愛川― 食えないねえ。まあ、いろんなことをやりました。もうアルバイトの帝王みたいなものだ。

木村― 注目されるきっかけは、ラジオですか。

愛川― 僕が世の中に出させてもらったのは、やっぱりラジオだと思います。深夜放送も、昼間のラジオも、もうラジオばっかり猛烈にやりましたね。で、ラジオで何かしゃべってると、あいつはおもしろいんじゃないかって……。
 それからアテレコですよ。テレビの外国映画の吹き替え。どのぐらいやったかわからないですね。よくやりましたね。いちばんよくやったのはジャック・レモンの吹き替え。これでかなり評判をとりました。その吹き替えとラジオのしゃべりとが合わさって、今度はテレビの司会。こうなるんですね。

木村― なるほど。その辺からは順風満帆ですね。

愛川― この辺からはね、もう売れちゃって、目が回るような時代ですね。

木村― 「11PM」とか、長寿番組が多いですね。

愛川― あれ、15年ぐらいやりましたかね。

木村― それから、「なるほど!ザ・ワールド」。

愛川― あれが16年。ちょうどフジテレビが、がたがたしている時代でね。我々はずいぶん貢献したと思いますね。

木村― いまは「出没!アド街ック天国」。もう10年超えてますよね。

愛川― 全部長いんですよ、僕の場合。

木村― もう一つ、「愛川欽也 パックイン・ジャーナル」という硬派の番組をやってらっしゃる。

愛川― これは朝日ニュースターというCS放送で番組やらないかと言われてスタートして、これも、9年目に入りました。

木村― あれは人気番組ですよ、いまね。

愛川― いまね、思ったよりメジャーになってきちゃったんです。
 昔、床屋の政治談義というのがあったという話をよく聞いてましてね。これをテレビでナマでやったらおもしろいなと思って、やってみたんですね。
 メジャーを意識してつくってないものが、メジャーになったら、内心はうれしいんだけど、戸惑うんだよね。だから、木村さんのこの雑誌だって、メジャーじゃないからね。

木村― 早くメジャーにしたいなあ。(笑)

愛川― あっ、メジャーなの?

木村政雄編集長 Special Interview

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