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柳村純一

「日本一の村」を再生した岩手県滝沢村の改革村長

情報公開から、村の改革は始まった

 だが、情報公開は一朝一夕で実施できるものではなかった。役場では保存すべき書類は倉庫に入れっぱなし、きちんと整理・分類してアーカイブ化することから始めなければならなかった。そんなことをはじめ、民間では考えられない怠慢な仕事が、役場では罷り通っていた。情報公開を実施するには、職員の意識改革もそのプロセスとして必要になっていたわけだ。
 「飲み会などに参加して、職員たちの現状を把握しようとしたんだけれど、みんな誰のために仕事をやっているか、考えていなかった。それに、すごく失敗を怖れていて、新しいことをやろうとしない。公務員は査定はマイナスが基本で、失敗は許されないと思い込んでいたんです。ですから、情報公開へ向けての仕事は、彼らの意識を変えるのに役立ったと思います。今まで隠していたものをオープンにするのだから、これまでの仕事のやり方を変えなければいけない。変えるためには、その目的と効率的な方法、自分の立ち位置も考えなければならないわけですからね。とくに若い職員たちは一生懸命、仕事に取り組んでくれた」
 情IT報技術の発展という時代の流れも順風となり、職員一人PC1台体制で、情報共有、情報公開が進んだ。98年3月庁内LAN運用、続けて同年4月情報公開制度が開始。このシステムは高い評価を受けたのだが(自治大臣表彰を受けた)、それは職員たちの意識改革の結実だったのである。また、そんなモラールアップは情報公開プロジェクトへの取り組みだけで生まれたわけではない。「住民は顧客である」「行政は経営である」――柳村氏が檄を飛ばし続けた末のものでもある。達成感に溢れた満面の笑みを浮かべながら、柳村氏は続ける。
 「就任の挨拶で、「弊社の皆様」と呼びかけたんです。それから、俺のことを「社長」と言う職員が増えていった(笑)。洒落みたいなものだろうけれど、自分自身は本当の意味で「社長」になろうと考えていました。勘のいい職員たちは、わかっていたと思いますけれどもね(笑)」
 98年、村長再選。「社長」として健全な経営を行うべく、いよいよ役場の職制改革という外科手術に着手した。翌99年4月、係制廃止。縦割りでなく、係長をなくしてチームごとに柔軟な対応をするためのものである。97年に段階的な実施を宣言した「組織のフラット化」第一弾だった。続けて、02年4月部制スタート、課長補佐職を廃止。また、収入役を廃止、重要事項は村長と担当部長との経営会議で合議で決めている(さらに、04年4月から課長職は職員の互選で決めている)。
 「二期目が一番、たいへんだった。ぬるま湯だった役場が変わるのに、抵抗する職員もいましたからね。でも、ここが俺のリーダシップ発揮の為しどころ所だと思った」
 99年5月地方分権推進セミナー開講、同年6月ISO認証取得宣言。職員たちに村の将来を問い、目標を明示した。そして、翌年8月地球環境との共存を目指す姿勢の国際基準ISO14001、11月に顧客満足度向上を目指す品質管理システムの国際基準ISO9001を、ダブル取得。通常、企業は部署ごとに取得するが、同村は全部署でのものだった。さらに、その過程でISOの限界も見えてきたため、行政経営品質を内外両側からアセスメントをすることにした。行政の仕事の問題を洗い直し、経営の健全化を図ろうとしたわけだ。
 「役所の仕事は外から評価されたり、認められることは、ほとんどない。競争もありませんしね。だから、失礼な言い方かもしれないけれど、面白かったと思う。そして、満足感、達成感、さらに職場に一体感も生まれていったと思います」
 朗らかな岩手訛りで、柳村氏はこう言う。退任前の村長室からは、くっきりと「イーハトーヴの風景地」鞍掛山、晩秋の蒼茫(そうぼう)な空が見える。

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