憲法九条というのも同様である。いまの状況で、他国の脅威があり、自国にはいちおう自衛隊が存在している。まあ軍隊である。でも九条以下の法律によって、その能力を存分には発揮できない。出刃包丁を持ってもいいが、刃付けをしてはいけないということで、砥石との接触を禁じられている。そんな出刃包丁が何になるのか。
ということだが、日本人は真面目で実直だから、敗戦時に出来た憲法には絶対に手をつけず、大事に護っている。要するに戦争はしない、戦争にはかかわらない、というある意味理想というか、抽象の理念のようなものとして憲法を考えている。敗戦とはいわず終戦といい慣わしてきていることにも、それがあらわれている。現実問題ではなくて、むしろ信仰の問題に近づいている。広島の原爆死者への追悼の碑に、過ちは繰り返しませんという意味あいの言葉があって、それがその後よく論議された。その反省はむしろ投下した側にあることではないかという。これも現実論と抽象論とのくい違いだろう。当時中学生くらいだった自分は、これは人類一般としての反省の言葉だと思っていたので、敵と味方の現実論が出てとまどった。
でも大人の世界になると、現実問題は出てくる。憲法九条をめぐるあれこれも、その辺でみんな困っているのだ。でも戦後何十年、半世紀、憲法は触らずに護られてきた。
それを考えていると、憲法九条というのは一種の秘仏だと思う。お寺によってもいろいろだが、ふだん見てはいけない秘仏を護るお寺がある。年に一回公開、あるいは何十年に一回公開というのもあるが、絶対秘仏というのもある。そこのご住職さえも絶対に見てはいけないもので、その誰も見たことのない秘仏といわれるものを、代々護り続けている。
秘仏としての憲法九条
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