中古カメラの世界でも「未開封」といわれる物件があり、発売当初のカメラがパッケージされたまま、その封を切らずにウインドウに並んでいる。たまたま未開封のまま今日まで来たわけで、その希少性で高値がつけられている。もしも封を切ったらごくふつうのカメラになってしまう。ある種の秘仏としての価値である。
出羽三山のうちの湯殿山のご神体も、秘仏みたいなものだ。拝観はできる。拝観すると、やはり不思議な感じに胸を打たれる。でも撮影は厳禁で、報道はもちろん、その見たものを誰かに話してもいけない。だからここでは書かないが、そこにそれがあることは確かだ。
秘仏、秘匿、見てはいけないものというのは、たしかにそのことによって力を持つ。それを護るものに内省の力が働き、それが安定につながる。誰にも見られないのだから、社会の中の空虚、空洞みたいなものだが、その空洞がむしろ周りを強くする。
昔からばか殿の効用がいわれる。まったくの無能だけど、でもその殿がトップなので、周りの者が懸命にその体制を支える。いまだったらばか社長、ばか市長、ばか館長などになるのだろうが、これはあくまで周囲で支えるものとの関係で、すべてがうまくいくとは限らない。
出雲にある一畑寺は、昔から眼疾に霊験あらたかな「目のお薬師さん」として知られていて、絶対秘仏の像がご本尊としてあるという。周囲の壁には人々の快癒祈願の紙がいくつも貼られていて、その信仰の深さがわかる。明治維新にはここにも廃仏毀釈の憲兵がやってきた。寺に仏像の廃棄を迫る。といって代々の絶対秘仏だから、ご住職も手をつけるわけにはいかない。とはいえ時の権力には逆らえず、ご本尊を収めた厨子のありかを示す。住職は示すだけなので、仕方なく憲兵がその扉に手をかける。でも憲兵もその霊験あらたかを知っているから、開けるに開けられぬ。最後にぐっと開けようとしながらも、
「目が潰れる!」
と叫んで逃げ出したという。
秘仏としての憲法九条にも、そういう力があるはずだ。非暴力の原理もあって、それを絶対的に護ることで、平和が護られる、はずである。でも現実は厳しい。同じ信仰で浸された世界の中でこそ、それは力となる。でもまるで無縁なエイリアンは、あっという間にその厨子の扉を開けて、その秘仏の首を飛ばしてしまう。海の向うにはエイリアンが犇めくいている。信仰の力がどこまで及ぶのか。
秘仏としての憲法九条
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)1937年、横浜生まれ。『父が消えた』で芥川賞受賞。『ふしぎなお金』『目玉の学校』など、著者ならではの、まともに考えれば考えるほど不可思議な人間社会の謎を探究する目からウロコの名著多数。
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