渋谷の夜景が一望できる高層ホテル
仄暗い部屋も鳳蘭さんが現れると、パッと華やかに
これぞ元宝塚トップスターの貫禄!
編集長とは同世代で同じ関西出身
終始、笑いの絶えないインタビューでした
鳳蘭 女優
みんな神様のせいにすればいい
(おおとり・らん)神戸市垂水区塩屋出身。神戸中華同文学校卒業後、1962年、宝塚音楽学校に入学。64年、宝塚歌劇団50期生として入団し、「花のふるさと物語」で初舞台。70年、「僕は君」で星組男役トップスターに。76年の「ベルサイユのばらⅢ」にはフェルゼン役で出演、第一次ベルばらブームを巻き起こす。この他に宝塚時代の主な舞台として「風と共に去りぬ」(77年、レット・バトラー役)、「誰がために鐘は鳴る」(78年、ロバート・ジョーダン役)など。79年、「白夜わが愛」を最後に退団。80年に結婚し二女をもうける(次女は現在文学座研究生)、86年に離婚。その後も「シカゴ」(87年)、「ジプシー」(91年)、「レ・ミゼラブル」(95~01年)、「ラ・マンチャの男」(95年)、「ラヴ」(94年)などミュージカルを中心に活躍。01年からは宝塚歌劇団卒業生による「狸シリーズ」公演の中心的メンバー。05年には紫綬褒章を受章している。
何も知らずに宝塚へ
木村― 鳳さんは僕とほぼ同じ年代ですが、出身は神戸ですね。
鳳―― そうです、神戸市垂水区塩屋です。
木村― ジェームス山にお住いだったとか。いまでもあるんですか、ジェームス山って。
鳳―― ありますよ。昔はジェームスさんという方が持っていた外人ばっかりの居住区だったんです。そこにアメリカンクラブがあって、そのちょうど裏ぐらいに私の家があったんです。
木村― 神戸らしい名前ですよね。小さい頃から目立ってたんでしょうね、鳳さんは。
鳳―― 目立ってましたよねぇ、ほんとに。どうしたってハーフっていうか、外人に見られましたから。いじめられたこともありました。
木村― でも、中国系には見えないですけどね。どうみても欧米系ですよね。ライザ・ミネリに似てると言われません?
鳳―― よく言われますよ。彼女とは同い歳。宝塚の頃、新聞にも「ライザ・ミネリにそっくりだ。鳳蘭のほうが美しい」って、ほんとに出たのよ。だから、ライザ・ミネリの映画の吹き替えも私がやってるの。最近仕事がないね、あの人が映画に出てくれないから。
木村― でも、純粋な中国系なんですね。そのお名前から「ツレ」という愛称がついたんですね。
鳳―― そうです。名前が「芝蘭」で、上海の田舎では「ツーレイ」って言うんです。宝塚に入ったときに、「あなた、愛称はなあに」と言うから、「親はツレちゃんと呼んでるけれど……」でツレちゃんになっちゃった。
木村― 芸名も本人がお決めになるんですか。
鳳―― そうです。本人が決めて歌劇団に提出するんです。私は、母の名の鳳仙の「鳳」と私の「蘭」、それに日本だったら「子」をつけたほうがいいんじゃないかっていうんで、「鳳蘭子」。でも、字画を見る人が「鳳蘭なら、孤独だけどスターになる。鳳蘭子ならスターにならない」って。もう孤独でも何でもいいから「鳳蘭」にしたの(笑)。
木村― 絶対そのほうがよかったですね。でも、そんなに宝塚に興味があったわけじゃないでしょ?
鳳―― はい。宝塚の舞台も見たことなかったですよ。小学校と中学校は三宮の上のほうにある中国人の学校の中華同文学校というところに行ってたんです。高校はどこか日本の学校を受けなきゃいけないんですよ。で、どこにしようかって悩んでいるときに、友人が「あたし、宝塚受けるの」って。「えっ、宝塚ってなあに」って聞いたら、「そこの学校で二年間勉強したら、舞台に立てるのよ」って言うから。
私、人前で芸するの大好きだったの。ちっちゃいときから、暗いことが嫌で、なんかおもしろいことして笑わせてたの。だから、舞台に立てるなんて嬉しいっていうんで……、ちょうどそれが7ヵ月前。それでバレエと歌を7ヵ月だけ習って、その子と二人で受けたんですけど、その子は落ちて、私が受かっちゃったんです。よくあるじゃない、こういうこと。
それで、入学すると舞台をタダで見せてくれるんで、制服を着て初めて見たんです―― 「あの真ん中の人、誰?」「あんた、那智わたる知らんと宝塚へ入ってきたの」「知ら~ん」 ……そんな感じでしたね。
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