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川又三智彦

1000億円の負債から復活 ツカサグループ代表

(かわまた・さちひこ)1947年9月1日、栃木県生まれ。ツカサグループ代表。サレジオ高校卒業後、米国ノースウェスタン・ミシガンカレッジに留学。帰国後の73年、家業の不動産業「司建物管理有限会社」代表取締役社長に就任。83年老朽化したアパートの有効利用として「ウィークリーマンション」事業をスタートさせ、大ヒットさせる。また、「SOHOオフィス」レンタルや「マンスリーマンション」などに手を広げるも、バブル経済の崩壊により1000億円の負債を抱える。その後、「ウィークリーマンション」を整理、「SOHOオフィス」レンタル事業などの不動産、情報サービス、介護・福祉などで事業を立て直す。自らの経験に基づいた独自の情報整理術を構築、その発想力、行動力は注目を集めている。著書に『2017年日本システムの終焉』(光文社)、『それでも人生大丈夫!』(あさ書房)、『二極化ニッポン』(住宅新報社)、『「昭和30年村」作ります』(日新報道)、『1000億円失って』(日東書院)ほか。
公式HPは http://www.222.co.jp/president/

「自分が欲しいものは、他人も欲しいに違いない――
僕の事業の基本は、単純なんです」

 「♪アドレスはにゃんにゃんにゃんてんコてんジェイピー」
 「♪サンのヨンヨン・マルマル・ニャンニャンニャン」
 耳馴染みのいいフレーズ、メロディで、HPアドレス、電話番号をいつの間にか覚えてしまうTVCMで知られる、ツカサグループ。川又代表は自らもCMに出演、日本でもっとも名前と顔の知られる経営者の一人だろう。しかし、サウンドロゴは変わらないものの、以前、聞き馴染んでいたコマーシャルとは、フレーズが一変していることに、多くの読者がお気づきのことだろう。「ワンワンワン」から「にゃんにゃんにゃん」へ犬から猫の鳴き声に変わり、そして「♪ツカサのウィークリーマンション」という締めのフレーズが消えてしまった、と。
 それは、99年9月のことだった。株式会社ウィークリーマンションツカサは「ウィークリーマンション」の営業権を、アメリカの投資会社リーマンブラザーズ社へ売却する契約を締結、ツカサ都心開発株式会社へと社名を変更した。83年から手塩にかけて育んできた「ウィークリーマンション」という商標、ブランドから、運営にまつわるノウハウ、さらには電話番号「♪サンのヨンヨン・マルマル・ワンワンワン」まで、そのすべてを譲り渡すことになってしまったのだ。
 「人間は、自分が堪えうる条件を超えた状況に置かれると、悲しむとか落ち込むというレベルを超えてしまうんですよ。自分に起きていることなんだけれど、そういうふうには思えない。どこか他人事のような感じになってしまう。それに、思い悩む暇もないというか、次から次へと問題が発生して、対処に忙殺され、ゆっくりものを考える時間もなかった」
 90年3月末、大蔵省(現・財務省)銀行局長は不動産向け融資の総量規制を通達。以降、銀行からの不動産業界への直接融資はストップ、地価は暴落へ向かった。やがて銀行だけでなくノンバンクからの融資もストップ。急成長のウィークリーマンションは建設ラッシュが続き、それは深傷となった。川又代表は不動産転がしで儲けるバブル経済人ではなかったが、同じ不動産業ということで、バブル経済崩壊の直撃を受けたのだ。結果、1000億円の負債を抱えてしまった。
 「不動産を転がしていただけの人は、物件を放り投げ、不動産業を辞めて済む。しかし、うちは実業ですから、放り投げるわけにはいかなかったんです。逆に言えば、ウィークリーマンションという実業をやっていて、日銭が入ってくるから、生き延びられたところもあります。ただ、あのとき、人生はなるようにしかならないとつくづく思いましたね。自分の能力を超えた状況に置かれたら、流れに身を任せるしかないんですよ(笑)」
 だが、身を任せる"流れ"は他人任せでない。登校拒否になった小学校6年生のときには父母の実家・栃木へ自ら転校、海外留学が珍しかった高校卒業の昭和41年アメリカへ出立、未来を切り開いた。もともと、逆境に強いのだ。それは、ウィークリーマンションでも同じだった。


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