さあ、本殿までもうひとふんばりだ。やっと最後の石段を登った時は完全に体力の限界で、思わずわが年齢を実感せざるを得なかった。本殿の境内から讃岐平野のど真ん中に鎮座まします讃岐富士は55年前と変りない。変ったのは平野の大部分が田畑だったのが、急速な工業化で人家が水草のように増殖してしまっていたことだった。また遠くには渡ってきた瀬戸大橋の鉄塔が銀色に光って見えた。変らぬ讃岐富士を眺めていると、フラッシュバックのようにぼくが中学生になったり、70歳の老人になったりするのだった。本殿の社務所で旅先ではいつも手にしている日記帖に御朱印を押してもらった。ふと後ろから声をかけてきた女性がいたが、彼女は今年の初めに東京で仕事をした関係の人だったが、物忘れの激しいぼくはその人を認知するまで、まるで連想ゲームをしているようで、わかるまでかなり時間がかかった。
石段は降りる方が膝に重心がかかるので痛かった。登る時には気づかなかった円山応挙の障壁画のある書院があったので拝観することにしたが、閉館時間が過ぎていたにもかかわらず、わざわざガイドさんが案内してくれて懇切丁寧に作品の解説をしてくれた。帰京後、ここで観た応挙の鷹の絵を前回行った金沢のY字路をモチーフにした近作の中に引用することにした。ぼくの足はすでに膨張して足のアストラル体が皮膚を破って外部にはみ出しているような感覚で、足を引きずるようにしてやっと「湯元ことひら温泉琴参閣」に辿り着いた。通された部屋の青畳の匂いをかぐなり体の疲れがスーッと取れていくのがわかった。和室だったが別の部屋がベッドルームになっていたので、今夜はベッドで眠れそうだ。温泉旅館はたいてい和室である。ぼくは布団で寝ると体が布団からはみ出しズルズル移動して、布団を抱きかかえたまま畳をはいずるくせがある。さっそくよれよれの体を大浴場の温泉に沈める。湯の中で足をマッサージするが、少々のことでは痛みが取れそうにない。Mさんはぼくより20歳も若いので、「少し痛い」程度らしい。ここの温泉は湯船がひとつずつ仕切られていて、まるでベッドが並んでいるように置かれていて、そこに一人ずつ入っている。そのひとつに入ったが、解放感の醍醐味はやはり大浴場で大の字になって一息つかなきゃ味わえない。大浴場の窓ガラスの向こうは露天風呂になっていたが入浴客の姿はなかった。
夕食の料理は相変わらず20種近く運ばれてくるが、酒を飲まないぼくにはなかなか口に合う料理はない。そのうえ少食ときているので、もったいないが半分以上残ってしまう。泊る部屋の大きさに合わせて料理の量や質が変るらしい。ロビーの方から太鼓が打たれる音が聞こえてきた。アトラクションの開始である。広いロビーの一角で、無名の女性演歌歌手のミニ・リサイタルが始まった。ロビーには老年の男女が歌手の差し出す手を握りしめている。テレビでよく見る光景だと思っていたら、妻も歌手と握手をしたといって照れくさそうな顔をして帰ってきた。ここは温泉旅館のロビーだ。ここからどれだけの歌手が這い上がっていったのか知らないけれど、険しい道を今夜の歌手も歩こうとしてるのだろうか。
琴平温泉
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