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宮本文昭

オーボエ奏者を引退、新たなステージへと向かう音楽家

1949年11月3日、東京都生まれ。父は藤原歌劇団テノール歌手、母は中学校の音楽教師という音楽一家の環境で育つ。中学時代、テノール歌手の父がNHK交響楽団と共演した「第九」を聴いて感動、オーボエを始める。68年桐朋学園高等学校音楽科卒業後、デットモルトの北西ドイツ音楽アカデミーへ留学、ヘルムート・ヴィンシャーマンに師事する。その後、エッセン・フィルハーモニー管弦楽団、フランクフルト放送交響楽団を経て、西部ドイツ放送協会交響楽団で首席オーボエ奏者を務める。00年に東京音楽大学教授に就任、本拠地を日本に移して、クラシック音楽に限らず、さまざまなジャンルの音楽にも挑戦。サイトウキネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団メンバーを務める。今年3月でオーボエ奏者から引退することを表明、現在、3月28日東京文化会館「ファイナルコンサート」、ほかファイナル・コンサート・シリーズが続く(日程など詳細は、公式サイトhttp://miyamotofumiaki.com/参照)。2月21日には、ベストアルバム『Fumiaki Miyamoto』、最後のクラシックアルバム『ファイナル・オーケストラスペシャル・ライブ:オーボエ協奏曲集』を同時リリースする

「オーボエ奏者をやめても、音楽をやめるわけではありません。逆に、広い意味で音楽ができると思う」

 『硫黄島からの手紙』主演で、世界的な評価が高まっている俳優・渡辺謙。この映画が海外初主演作だが、意外なことに日本映画での初主演作品も06年公開の『明日の記憶』だ――主人公は50歳目前にして若年性アルツハイマー病に突如、襲われた働き盛りのサラリーマン。ファイブエル世代にとって、胸に迫る物語。急性骨髄性白血病、C型肝炎の闘病経験がある渡辺の演技に加え、映画のなかで流れる音楽も、観る者に主人公の気持ちを切なく伝える。主旋律を奏でるオーボエの優しく、暖かい調べ、そして緊張に溢れた寂寥……。演奏しているのは、世界的なオーボエ奏者・宮本文昭氏である。
 「ボクにとって、オーボエはあくまでもクラシック音楽へ入るためのツールだったんです。あの頃、オーボエ奏者はそれほどいなかったから、チャンスがあると思った。オーボエをやらないとクラシックに近づけないし、上手くならないと、その世界に入れないと思ったんです」
 いきなり、意外なことを言う。高校卒業の68年に渡独、以来32年間を彼の地で過ごした。00年に帰国後も日本を代表するオーボエ奏者として、国際的な活躍を続ける。それだけに、「ツール」ときっぱり言い切る意味は重く響く。
 「好きな楽器から音楽を始めるのが、普通ですけれど、ボクの場合は違った。漠然とクラシックをやりたくて、切り落として、削ぎ落として、最終的に残ったのが、オーボエだったんです。ですから、オーボエという楽器の仕組みや奏法も、何もわからなかった。第九のような音楽をやりたくて、第九を演奏するオーケストラに参加したかったんですよ。だから、どんな楽器でもよかった。ですから、最初に自分が演奏したオーボエの音を聴いたとき、ちょっとがっかりしたくらいです(笑)」
 ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン作曲「交響曲第九番ニ短調作品一二五『合唱付』」――音楽を志したのは、中学二年生の冬、この曲を聴いたことがきっかけだった。06年大晦日に放映された「NHK交響楽団第九演奏会」中継の解説でも「父親の歌声が演奏家の原点」と語っていたが、父は藤原歌劇団・元プリモテノール・宮本正氏。天啓に従うように父親が出演するNHK交響楽団第九演奏会を聴きに行き、鳥肌が立つほど感動、音楽の道へ進むことを決めたのだった。
 そして、宮本氏はたまさかオーボエを手にしたわけだが、この楽器は生やさしいものではなかった。人間の声域に近く、多彩な音色を持つオーボエの音源となるのは、ダブルリード。二枚のリードが複雑に振動するので、綺麗な音を出すのは難しい。オーボエのA音(「ラ」)からオーケストラのチューニングは始まるが、それはこの楽器の音程がもともと不安定だったためとも言われている。
 「オーボエを始めて一年後、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を受験したんですが、不合格だったんです。しかも、実技で落ちる人はほとんどいなかったのに、ボクはそこで落ちた。その後、理由を聞きに行ったら、こう言われたんです。管楽器の先生には「オーボエに向いていないと思う」、調音の先生には「音に対する感覚が鈍い」と(笑)。厳しいことを言われたんですが、逆にそれがよかったと思っています。オーボエを始めたのは、演奏者人口が少ないので多少下手でも食っていけるという甘い考えもあったんですが、受験失敗で、愕然とした。そして、努力しよう、頑張ろうと思った。絶対に上手くなる、一生続けようと思った人ですからね。「向いてない」「感覚が鈍い」と言うヤツらを見返してやろう、とね(笑)」
 第九と受験失敗が、宮本氏の人生を決定づけた。桐朋学園高等学校音楽科に進学、オーボエ一筋に打ち込んだ。卒業後、あえて、東京藝術大学音楽学部を受験せずに、単身、ドイツに渡る。所持金わずか18万円、観光ビザでの渡航だった。


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