編集長のラジオ番組「楽園計画」の最初のゲストが鶴太郎さん
ともに走った「ひょうきん族」時代から、
ボクシング、絵画まで、話題は尽きず
今回、ファイブエルのために再登場願った
ラジオではお見せできなかった、とびっきりのいい顔をとくとご覧あれ
好きなことを戦略的に追求するその生き方も
片岡鶴太郎 俳優・画家
50代で仕切り直し
(かたおか・つるたろう)本名=荻野繁雄。愛称=鶴ちゃん。1954年生まれ。東京都荒川区西日暮里出身。都立竹台高校卒業後、1972年に声帯模写の片岡鶴八に弟子入り。75年、声帯模写で独り立ちし、東宝名人会、浅草演芸場に出演。81年にはフジテレビ系バラエティー番組「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演し、脚光を浴びる。その後、TBS系のドラマ「男女7人夏物語」(86年)、「男女7人秋物語」(87年)に出演、役者としての地位を固める。2000年には映画『どら平太』(市川昆監督)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。また芸能以外でも多彩な才能を発揮し、88年にはプロボクシングのライセンスを取得。絵画では、95年以来毎年のように個展を開催。群馬県草津に美術館、石川県山中と佐賀県伊万里に工藝館、福島県飯坂に美術庭園を開館。最近では書も手がけている。近著に、『鶴太郎流墨彩画入門』『ご縁をいただいて』『鶴太郎のぬり絵』がある。
木村― 昔、スタジオではお見かけしたんですが、面と向かってお話しするのは、これまでなかったですね。
片岡― そうなんです。木村さんというのは、ちょっと怖い存在でした。木村さんは関西の吉本興業で、私は東京の太田プロダクションで、同じお笑いでも、東京と関西では距離感があるじゃないですか。そんななかで、何か射抜くような眼光だなと感じておりました。
木村― やはり、戦っていましたものね、あの頃は。東京勢と大阪勢がね。いい火花が散っていた。本当に、楽しかったですよ。
あの頃の方はみんなメジャーになってしまって。とくに鶴太郎さんはイメージが変わりましたからね。昔にくらべたらずいぶん真面目だなと思うんですけど、子供の頃はガキ大将で、よその家の柿を盗んだりとか、そういうことはなかったんですか。
片岡― あんまりなかったですね。
木村― そういう人がどうして芸能界を志されたのか、不思議に思うんですよ。
片岡― やっぱり芸人というのは、どっか他人のものを盗んだりとか……(笑)。
木村― どっちかというと、そっち系の人のほうが多いじゃないですか(笑)。
鶴太郎さんは手のかからない子供で、学級委員とか、副委員とかやってそうなタイプ。そのまま公務員になっても、よかったんじゃないですか。
片岡― 浅草が近かったし、父親が寄席とか軽演劇が好きだったもんですから、連れて行ってもらって、もうこれしかないと思ったんですよ。ですから、寄席は出演者が替わるたんびに見に行っていましたからね。
木村― クラスでみんなの前で笑いをとるとか。そういうお茶目なところがあったんでしょうけど、本質は真面目だったんですね。
片岡― どうなんですかね。やろうと決めたら、結構、納得いくまで掘り下げるところが、あるかもしれませんね。
木村― まずボクシングをおやりになって、それから絵を描かれて、ドラマにも挑戦されて、最近は書もおやりになる。僕は、いまの鶴太郎さんが一番素敵だと思います。自分なりのスタイルをつくられていますもの。数多いライバルのなかで生き残っていかなければならない、その戦略性も感じますし、いまの姿というのは、とってもかっこいいなと思いますね。あと20年は大丈夫だと思いますよ。
片岡― 20年かあ(笑)。
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