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森下篤史

フードビジネスで快進撃する
テンポスバスターズ代表取締役社長

不安ではなく、開放感を持つべき

 この2月、森下社長も60歳になった。
 「自分自身の感慨は、何もないね。ただ、一般論で言えば、せっかく日本で生まれて、年間200万円、300万円も年金をもらえるのなら、何でみんな不安に思うのか、わからない。世界中に飢えて死ぬ人が何百万人もいるなか、それだけもらえれば、十分暮らしていける。いまの日本の団塊の世代とか50代は、世界で考えてみれば、不安だなんて言えないほど、恵まれていると思うんですよ。充実した人生への模索とか言うけれど、模索とか考えた時点で、ダメだと思うんです。例えば時給500円なら、たいがいのところで雇ってくれると思うから、週に3、4日でも、それで働けばいいんです。パソコン教室へ行ったり、企業診断士のセミナーに行ったりして、キャリアアップと自分をごまかして、なるべく実践につかないでいる。仕事に就くのが恐ろしくて、大学卒業して専門学校に行ったりする人と同じ。働く場を確保してから、模索すればいい」
 見る前に跳べ――それが、森下社長の信条になっている。人一倍、アドレナリンが多いと自身を語るが、身体を動かして行動しないことには、何も始まらないと考えているのである。先行きに不安を抱き、手をこまねいているくらいなら、何らかの行動を起こすべきだ。そこからしか何事も始まらない、と。
 「何も手を打たないでいるのは、仕事でも、人生でも、そんな愚かなことはないと思っています。持つべきなのは、不安ではなくて、開放感なんですよ。だから、ボクも60歳になったけれど、バーベルを上げたり、ジョギングや散歩など運動を欠かさないし、カロリー計算をしたり、野菜を摂るようにも心がけている。そもそも、いまの日本で本当の不安なんて、あるわけがないとボクは思うんだよね」
 そう明快に言い切る森下社長だが、もちろん、紆余曲折を経て、そう思うに至っている。大学卒業後、入社した東京電気(現・東芝テック)で営業職に就くも、半年間、売上げゼロが続いた頃は、つらいだけの日々だった。抜け出せない、これで一生お終いだ、はやいうちに辞めようと思っていたという。その後、トップセールスマンとなったが、やがて会社と軋轢が生まれ、結局、独立することになったが、寄らば大樹の陰のサラリーマンのトップセールスマンだったから、独立して食っていけるのかということにえも言われぬ恐ろしさを感じたそうである。
 「いくらトップセールスマンになっても、辞めて会社を興そうなんて、まったく思わなかった。やむなく辞めただけで、恐ろしくて恐ろしくて仕方なかったんです。その会社でトップセールスマンでも、ビジネス社会という大海を泳いでいけるのかわからない。だから、年金収入が年間200万円もある人が不安だと言うのと同じなんだけれども(笑)、当時のボクも不安で不安で仕方がなかったですね」
 だが、不安を抱きながらも、森下社長は次々と行動を起こしていった。トップセールスマンの実績を買われ、本社勤務となったが、役員と対立して退社。業務用食器洗浄機製造・販売会社に専務として迎えられるが、乗っ取りを疑われて辞任、82年に食器洗浄機メーカー・共同精工(現キョウドウ)を起業する。一方、他業界へも進出すべく、数々の新規事業を立ち上げていった――しかし、英会話学校、環境調査、回転寿司など、立ち上げていった新規事業は失敗の連続だった。

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