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田中康夫 新党日本代表

大人になれなくてもけっこう

(たなか・やすお)1956年(昭和31年)東京都武蔵野市に生まれる。64年、父田中博正氏が信州大学教授に就任したため長野県上田市に移住、2年後父親の異動のため松本市に引っ越す。75年長野県松本深志高等学校卒業。76年、一橋大学法学部入学。大学在学中に書いた『なんとなく、クリスタル』(新潮文庫)で昭和55年度(1980年)の「文藝賞」(河出書房新社)を受賞。81年、一橋大学卒業、モービル石油に入社するも3ヵ月で退社、以後文筆活動に専念。95年、阪神・淡路大震災後、神戸でボランティア活動に従事。その後市営神戸空港建設反対署名運動のリーダーとして活躍。2000年長野県知事に就任。翌年、脱ダム宣言。02年県議会で知事不信任案可決。県議会の不信任決議を受け、失職を選択。同年9月、長野県知事選挙で再選される。05年、「新党日本」を立ち上げ代表となる。06年、長野県知事選挙で53万4229票を獲得するも前衆議院議員の村井仁候補(61万2725票)に破れ落選。落選後も「信州を思う53万人の会」を結成し、地域から信州を、日本を変えるべく、奮闘中。著書に『神戸震災日記』(新潮文庫)、『ナガノ革命六三八日』(扶桑社)、『日本を――ミニマ・ヤポニア』(講談社)などがある。
田中康夫ポータルサイト http://www.yasu-kichi.com/

インタビューの日、
現長野県知事が脱「脱ダム宣言」を表明
そのためか話はヒートアップ気味
信州を、日本を熱く語る田中康夫氏
これからも怯まずに、がんばってほしい

木村― きょうでお目にかかるのは三度目なんです。覚えてらっしゃいますか。

田中― 最初は「笑っていいとも!」の関係のときでしたかね? それと新幹線でも何度かお会いしているし。

木村― 長野の小布施へ行くときにもお会いしました。一人で重い荷物を持って、誰の迎えもなく……

田中― ええ、なにもしてくれないんですよ、人徳がないから。

木村― それがすごい印象的で、「ああ、こういう人なんだな」と。普通、秘書とかついてるじゃないですか。誰かが迎えに来たり。

田中― 県知事時代も、いまでもですが、よく東京駅とかで、サラリーマンの人に「がんばってください、よく一人で平気ですね」って言われるんですけど、そういうときは、東京じゃあ小学生だって、幼稚園児だって一人で電車に乗ってるよって。
 以前に、田原総一朗さんの「サンデープロジェクト」に出演するんで、日曜日に上京したとき、私は当然一人で行くわけですよ。長野県内のメディアの人は、東京のテレビに秘書を連れていくとおかしいって……。あの番組出演もひとつの長野県の宣伝だと思うんですけどね。で、番組に出演していたもう一人の県知事は日曜日なのに三人も秘書連れてきてました。「財政に余裕があるところはいいなあ」なんて思ったけど。ほんまに、人徳ないと大変ですわ。

木村― だけど、愛されてますよ。

田中― 県知事になった後も、ずっと昔からつき合っていた編集者などから、「おまえ変わらないな」って言われるのが私にとっては最大の激励だったと思いますね。やはり知事になると、昔寄ってこなかった人まですり寄ってきたりして、だんだんそれが当然と思ったり、そういう自分が快感だったりするんでしょうけどね。

木村政雄編集長 Special Interview

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