過度に「自分」を強調する風潮が、他人に対する不感症を生んだのであろうか。だが、人は一人で生きているのではない。他の人がいて生かされてもいるのである。絶対の存在であると同時に、相対的な存在でもあるのだ。一人で演じるなら「一人芝居」になってしまう。いや「一人芝居」だって、裏方さんがいて初めて幕が開き、観客がいて初めてパフォーマンスとして成立するのだ。
相撲でも相手がいなくては、文字通りの「一人相撲」になってしまう。野球の場合もいくら速い球を投げようが、受けてくれる人がいて初めてキャッチボールが成立し、打つ人がいて初めてゲームが成立するのだ。
自分たち以外の存在をモノ化しないで、共演者として見ればどうだろう。「自分興(おこ)し」もいいが、まずは「他人を興(おこ)して」みるというのもいいかもしれない。結果、自分が興されるということになればいいのだ。
コミュニケーションとは心の伝え方なのだ。相手をモノではなく、ヒトとして扱い、まずは心を伝えるところから始めてみよう。絆きずなのない集りを「烏合(うごう)の衆」というとか。カラスに失礼かもしれない。カラスだって、絆があって群れている気がするからだ。
新年度を迎え、我が「ファイブエル」も、みんながコミュニケーションをはかるうえでのツールになればとの思いを深くしている。絆は英語で「LINK」。世代間のコミュニケーション・ギャップが嘆かれるいま、「LINK-AGE」(世代をつなぐこと)こそがなにより求められている気がするからだ。
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世代をつなごう
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