ぼくは今、不用意に「演出」と言ってしまったが、ある意味でぼくの中のもう一人のぼくによる演出であったような気がしないでもなかった。というのも大騒ぎはしたものの、ぼくが救急車に乗せられて救急隊員があちこちの病院に連絡を取って受け入れるところを探している間(この時間が実に長かった)に、ぼくの容体は徐々に回復を始めたのだった。だけど救急車の中はぼくの肉体以上にパニック状態だった。救急隊員は各病院へ連絡するのだが、実際のぼくの症状とは異なったひとりよがりの報告をしている。口が腫れて咽と耳がまっ赤になり、めまいを起していると説明をしているが、事実とは異なる。Mさんはぼくの東京の事務所に電話をして、ぼくの友人の俳優の土屋嘉男さんが甲府出身で、彼が親戚の医者を知っていることから、その医者に連絡を取ってもらう手配をしたり、またぼくの主治医である東京の大病院の院長先生とコンタクトを取ってくれたり、大奮闘してくれている。誰かがぼくの右手を力任せに握っている人がいて、そのために親指がひん曲がってしまうほど痛いのだ。薄目を開けてみると手を握っているのが妻だとわかったので、ぼくは「痛い!」と悲鳴を上げて、やっと痛みから逃れることができた。
担架に寝かされたまま救急車の天井を見ると眼のかすみは治っている。やれやれ助かったと思ったが、パニクッている皆さまを見るとなんだか申し訳なくなって、今さら「もう病院に行く必要はない」とは言えなくなってしまった。そこでこのまま重患らしくおとなしくしている方がいいかもしれないと思った。ぼくはぼくの中の二人の自分に対話させながら、救急車の中の様子を楽しむ余裕ができてきた。ぼくは今回のパニックに限らず、事態が急変した時に限って、自分を客観的に眺める癖があるようだ
結果はたぶんずいきを食べたために起こった食アレルギーだったと思う。たまたま診てもらった先生が脳外科医ということで、一応CTを撮ることになったが、今回の症状は脳とは無関係だということをぼくは知っていたので、CTの結果にはまったく心配していなかった。旅館で夕食が始まると同時に突然起こったパニックのために、Mさんも妻も食べないまま救急車に同乗してくれた。旅館に戻った時点では料理は全部下げられ、二人は出前の寿司、ぼくはジャコ飯とおしんこで温泉旅館の夕食としては実に寂しい内容になってしまった。
肝心の温泉だが、夕食前と翌朝の朝風呂に入り、一夜の出来事がまるで嘘のように気分は快適だった。旅館にタクシーを呼んで、山梨県立美術館と山中湖の三島由紀夫文学館に行く予定だったが、Mさんと話していて深沢七郎さんの名が出たのを聞いた運転手が「この近くで深沢先生の甥御さんがそば屋をしておられる」と言ったものだから、ぼくはせめて挨拶ぐらいはと思い、訪ねることにした。その昔深沢さんと訪ねた日のことをご主人も奥様も息子さん夫婦もよく覚えておられ、この日二度目の朝食であるおそばをご馳走になった。しばらく懐かしい話題に花が咲いたあと、山梨県立美術館でミレーの作品を観て、例によって郵便局で風景スタンプを捺印したりY字路を撮ったりしながら山中湖畔にある三島由紀夫文学館を訪ねた。
石和温泉
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