しかし昔なら考えられないことだった。猿がいくら金を持っているからといって、人間が人間社会の公共の鉄の備品を盗み出して、猿に売り渡すなんて、人間のすることじゃない、犬畜生のすることだ、と昔ならいわれた。
というより、それは世の中を裏切るおこない、国を売るもの、非国民だ、といわれた。
でもいまは、この言葉は流行(はや)らない。そもそも国という言葉が軽んじられている。国には反発し、むしろ否定するのが新しい考えだと思われている。
日本の人間はこの傾向が強く、これは戦後広まった左翼ウィルスのもたらす症状だといわれている。これはアメリカ駐留軍によって移植されたウィルスで、自分の国の過去をすべて否定し、軽蔑し、自分の国を非力にする能力を備えている。
左翼ウィルスというのは、いちど感染するとなかなか抜けにくい。体内に左翼思想が広がり、慢性化する。
慢性左翼といわれている。
かつて左翼小児病というのが、もっとも過激で危険な症状だといわれていた。でもそれはどこかへ消えていき、そのかわりいまは多くの人々が左翼慢性病をかかえている。これはとくに退治させなくても生きていけるので、みんなそのウィルスを抱えたまま定年を迎えようとしている。
いや猿の話だった。いまや山奥の方では猿社会の発展が凄い勢いだそうで、高層ビルががんがん建っているという。猿の数は1億どころか10億とも20億ともいわれ、いずれ地球は猿の惑星になるだろうとのことだ。
でも一方その山奥のさらに奥の奥の方では、貧困状態がもう頂点にも達しているそうで、ねぐらはない、食い物はない、公害はたれ流しで、こまかい暴動が日々200件くらい発生しているという。この猿の集団は独裁体制を固めているから、一部特権階級が異常に裕福になり、他のほとんどが貧困にあえぐ。ということの繰り返しだという。まあたしかに動物園の猿山を見ていても、暴動というか喧嘩はしょっちゅうで、牙を剥いてきーきー威嚇しあうことに余念がない。だから問題は難しい。
えーと、問題がわからなくなった。とにかく公共の物を盗む、ということが横行しているわけで、それは自転車がはしりだったのではないだろうか。
自転車は公共物ではない。個人の物だが、でも公共の道路脇に停めてある。だから道を通る人々の意識には、公共物としての感覚が半分混じっているんではないか。終戦直後のイタリア映画『自転車泥棒』では、自転車は明らかに個人の所有物で、それを盗むということの緊迫感が映画全体にあふれていた。
鉄を喰う猿
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