宇崎さんには編集長のラジオ番組で
ポジティヴに生きていくための秘策を教わった
今回はそれに加え、人生の楽しみ方、奥さんとの付き合い方
若い人とのコミュニケーションのとり方など
貴重な体験をお話しいただいた
宇崎竜童 ミュージシャン
婦唱夫随
(うざき・りゅうどう)本名・木村修史。1946年京都府生まれ。すぐに東京都渋谷区代々木上原に引越し、上原小学校から明大中野中に進学。中学からブラスバンド部でトランペットを担当。明治大学法学部に入学。大学では「軽音楽クラブ」へ入部。同クラブのハワイアンバンドに同級の阿木燿子が所属。大学卒業間際、義兄のプロダクションにスタッフとして入社。その後プロダクションを設立。1971年阿木燿子と結婚。73年「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。74年「スモーキン・ブギ」、75年「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と次々にヒットを飛ばす。80年「ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド」に改名(翌年解散)。音楽だけでなく多方面でソロ活動を始める。84年新しい音楽にチャレンジするため「竜童組」を結成(90年活動休止)。93年大人のロックバンドを目指して元ザ・スパイダースの井上堯之と「RUコネクション with井上堯之」を結成(98年活動休止)。映画出演も『曽根崎心中』(78年)、『駅―STATION』(82年)など数多い。最新作は『オリヲン座からの招待状』(07年秋公開)。舞台音楽も数多く手がけているが、最新作は『藪原検校』(07年5月より公演)。他に自ら映画を監督するなど多方面で活躍している。
木村― 宇崎さんは僕と同じ京都生まれで、同い歳なんですね。京都はどちらですか?
宇崎― 伏見桃山です。でも、生まれてすぐに、東京に移りました。
木村― そうでしょうね。京都の香りがしませんもん。
宇崎― 親父は大津で、お袋が伏見ですから、僕も関西の人間なんです。ですから、関西に行くと、懐かしい気持ちになるし、関西の人と会うと、何かほっとするんです。
木村― どうして東京にいらっしゃったんですか。
宇崎― 親父は外国航路の商船に乗っていて、小樽や室蘭、東京にも住んでいたことがあったようで、東京に家を買っていたんだと思いますね。それで僕が生まれてから、陸にあがったんだと思いますね。
木村― それで、東京では、どんな少年だったんですかね。
宇崎― 小学校のころは優秀な子だったみたいで、近所のお母さんたちも「都立高校から国立大学に行くんだろう」と思っていたようです。僕は8人兄弟の末っ子なんです。それも一番近い姉が、7つも上なんです。
木村― ご両親にしたら可愛くてしょうがなかったんでしょうね。
宇崎― いやあ、親の気持ちとしては、もう子どもの勉強にも、受験にも、あまり頭を悩ませたくないということで、附属に入れてしまえと。それで僕が知らない間に、明大中野に行くことに決まってしまったんです。
木村― そうなんですか。それで、当然のごとく、明治大学に進まれた。法学部ですから弁護士かなんか目指されていたんですか。
宇崎― 全然、目指さなかったですね(笑)。大学へ進むにはギリギリの成績だったので、農学部か法学部しかなくて、どうにか法学部に入ったんです。
木村― 学生時代から、芸能界の活動をなさっていたんですか?
宇崎― とんでもない。中学からブラスバンドでトランペットをやってはいたんですが、義理の兄貴が音楽関係のプロダクションをやっていて、あまりにも芸能界が近すぎて、近寄れなかった。やはり才能がなければ、行けないと思っていたので。
木村― それがなぜ、芸能界に行くことになったんですか。
宇崎― 筆記試験がない会社に受かったんですが、自分が思ってもいなかった職種だったので、ひと月で辞めて、困ったなあと思っていたら、その義理の兄貴が、「音楽の知識もあるし、法律の知識もあるから」と親父を説得してくれて、僕を入れてくれたんです。
木村― スタッフになられたわけですね。アーティストでなくてね。マネージャーみたいなこともなされたんですか。
宇崎― 最初は著作権の処理みたいなこともやっていたんですが、グループサウンズが全盛のころで、だんだんマネージャー的な仕事になって、新しいグループを探してこいということで、大阪のゴーゴークラブに行ったり、東京のジャズ喫茶に行ったりしてました。
木村― 懐かしい響きですね、ゴーゴークラブ。そういうマネージャーの仕事は何年くらいやられたんですか。
宇崎― 4年くらいやりました。ところが、会社が潰れてしまった。それで、バンドが6組くらいあるから、それを束ねて新しい会社をつくろうと誘われて、プロダクションをつくったんです。僕は裏方で、そのバンドのレコードを出すために、まずコンサートを企画したんです。
そのとき、お前も自分の歌を唄っていいよということになって、ステージでやったら、3つぐらいのレコード会社から、レコード出さないかと言われたんです。
木村― ほおー。
宇崎― そういう話がきて、どうしようかなあと、プレスリーとかのレコードを聴きながら一晩考えたんです。当時はフォークも出てきたころで、泉谷しげるも、あのルックスであの声でやってるでしょう(笑)。「泉谷がやっているんだから、オレがやってもいいのかなあ」という気分で、引き受けたんです。
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