ようこそ ゲストさん [ログイン]


トップページ > バックナンバー > 横尾忠則の温泉主義 > 

  • 印刷
  • 大
  • 中
  • 小

岩室(いわむろ)温泉

 「温泉主義」と題するこの旅行で、ぼくはもっと温泉について多くを語る必要があるのかもしれないけれど、別に温泉のガイドを目的とした旅行ではないので、とくに温泉について蘊蓄(うんちく)を述べるようなことはほとんど興味がないのである。まあどこの温泉でも効用はよく似ている。われわれの旅行の目的は湯治ではないので、何か病気に特別に効く温泉地を選んで行っているわけではない。
 まあさほど変化のない日常からほんの少し目を逸(そ)らして未知の土地の風景や風物や観光、時には歴史に触れる興味はつきないが、やはり目的は温泉に入って世俗のアカを落として健康体になってまた日常に戻ることだ。もともとぼくは温泉にそれほど興味がなかったものだから、何度も入ったり長時間湯舟につかったりすることは苦手である。第一、長時間温泉につかったり何度も入ると体によくないという。まあ楽しみといえば食事だが、酒を飲んだり食グルメではないぼくは、運ばれてくる料理の数には驚くが、ぼくの興味はむしろそれを鑑賞することだ。それも前回の石和温泉で食アレルギーを起こして救急車に乗る羽目になって以来、出てくる料理に警戒心を抱くようになってしまい、まるでロシアン・ルーレットさながら戦々恐々としながら疑心暗鬼で食べものを口に運ぶようになった。そんなわけで家でもそうだが食事の楽しみが半減してしまっている。
 だけど持病になりかかっていた神経痛は温泉で見事に解消され、もうひとつの持病である喘息は、二ヵ月前のハワイ旅行で軽減したかに思えたが、それに代って食アレルギーが発覚してしまった。もともとアレルギー体質なので、体だけではなく世の中の出来事や人間にもアレルギーを起こすんだけれど、それがまあ仕事の原動力になっていたりするので、必要悪としてコイツと共存するしかないと半ば諦観せざるを得ないのである。
 温泉旅行も一年半を過ぎ、さらにまだ先があるとすれば、ぼくの後期の人生に突然侵入してきた温泉は何やら運命の一部として組み込まれていたのではないかと考えたくなるほど、ぼくの人生や生活の中で温泉が様々な出来事に影響を与え始めているので、これは約束された運命との出会いではないかと想像し始めたのである。温泉を運命と結びつけるようになったのも、あの9ヵ月も苦しんだ神経痛がたった一回の温泉で治ったことと、温泉をテーマにした絵を描く楽しみを与えられたことである。もし温泉がなければ温泉をテーマにした絵も生まれなかったはずだ。またライフワークになりつつあるY字路シリーズの作品に温泉が結びついたことなどを考えると、そうなるべくしてなったという何か運命の機微(きび)のようなものを感じないわけにはいかない。ぼくは人生は人それぞれ約束のもとにこの世の中に放り出されて様々な運命と出会っているように思う。だからその約束された運命路線を走っていると考えている。でないと実にわからないことだらけだからだ。なぜこうなったかと自らに問うてみても、明解な答えが返ってこないことなどいくつもあるじゃないですか。あの時、あの人やあの出来事と遭遇していなかったら今が存在しないことになるでしょう。まあ蚊に刺された程度の小さい事は問題外(時にはマラリアになって死ぬ場合もあるが)だけれども、なかには人生を決定する大きい出来事は誰でも過去にいくつもあったはずだ。出来事の大小にかかわらず、われわれは運命の女神に導かれながら運命の大海を当てもなく航海して苦楽を共にしているのが人生じゃないでしょうか。そんなことを最近、この小さな温泉旅行で考えさせられるのである。

横尾忠則の温泉主義

一覧(33件)

ファイブエルストア

[ファイブエル]バックナンバー