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田淵幸一 北京五輪 野球日本代表チーム ヘッドコーチ

運も才能

深夜のトレード通告――新生西武へ

木村― 78年、ミスター・タイガースが予期しなかった西武へのトレードですね。

田淵― トレードというのは、この仕事にはつきものだと思うけど、あのトレードは、野球人生じゃなくて本当の人生を変えてくれたね。まず、トレード通告が夜中の1時。もうパジャマ着て、寝ようかなと思ってたら電話がかかってきて「ホテル阪神まで来てくれないか」「あっトレードだな、内密にやるんだな」と思って行ったら、そこには新聞記者が大勢待っていた。「なんじゃこりゃ」と思った。
 1969年、阪神入団で新大阪へ着いたときは、40人のカメラマンや記者がいた。10年後、78年11月に荷物まとめて東京に帰るときは、後ろ向いても誰もいなかったですね。あっ、これがプロの世界だと。あの場面はいまだに忘れない。新幹線に乗っても、眠れなかったねえ、カッカカッカきて。
 そして、西武の監督だった根本さんが「パリーグでがんばれ。一緒にもう一花咲かそうよ」と言ってくれた。そのおかげで救われました。本当にやさしいオヤジさんだった。
 それで、1981年のシーズンが終わったその日に根本監督から「あしたから練習しろよ」って。そうしたら11月に「新監督・広岡達朗」という発表があった。広岡さんは練習が厳しいから、早くからやらないと体がついていかないよ、ということだったんですね。広岡さんが来ると知ったときのみんなのショックは大変なものだったねえ。

木村― そうでしょうね。

田淵― 広岡さんは就任の挨拶で「このチームの最高給とりは、走れない・守れない」と言うから、誰だろうって思ったら、だんだん周りの視線が僕のところに……(笑)。「いいところで負けるピッチャー」と言われたのが東尾。「ちょっとよくなるとアキレス腱が痛いと休む」のが太田。「うまいと思ってるけどたいしたことないショート」が石毛、主語を言わないんですね。それでみんな頭きちゃってね、「みんな、優勝して、胴上げのときに落としてやろう」と。そこから監督と選手の闘いが始まったんですね。

木村― まんまとはまったわけですね。

田淵― はまったんですよ。人間、頭きたら倍の力は出ますからね。後でわかったんです、現役終わってから(笑)。
 選手たち全員の合言葉は「優勝して、胴上げで落とす」でした。でも本当に優勝したら「日本シリーズがあるから、まだ早いんじゃないの」と。そして対中日との日本シリーズでも勝っちゃった。そのときは「もう1年待とうや」って。そうしたら翌83年、今度は巨人とやって日本一。その後は「いい思いをさせてくれた監督だろ、それを落としたらダメだ」って(笑)。

木村― あのときは巨人ファンは憎たらしかったでしょうね。西武、強かったですもんね。

田淵― あの日本シリーズのとき、おもしろい話があった。巨人のエース江川はお尻にオデキができていて、痛くて真っ直ぐ投げられないとか聞いたんですよ。それで、ほんとにカーブが来てホームラン打ったんです。

木村― そういう裏情報があったんですね。

田淵― だけど、あのときは第5戦でクルーズにサヨナラホームランを打たれて王手かけられて、もうダメだと思ったんですよ。そうしたら、池袋サンシャインプリンスホテルに集合がかかって、広岡さんが黒板を持ってきて「あしたは江川だからこうなる。次の西本はこうで……4勝3敗でうちの勝ちじゃないか」と。そのときの広岡さんはすごかったね、絶対こうなるんだからと、われわれを励ましてくれた。そしてマイクを持って歌ったんですよー。いままでの広岡さんと違う自分をさらけ出したんです。そしたらみんなその気になっちゃって、本当に4勝3敗で優勝しちゃった。

木村政雄編集長 Special Interview

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