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田淵幸一 北京五輪 野球日本代表チーム ヘッドコーチ

運も才能

監督からコーチ、そして星野ジャパンへ

木村― それで現役をおやめになって、福岡ダイエーホークスの監督になられましたよね。どうでした、監督になられて。

田淵― いやあ、僕はそのつもりじゃなかったんですよ。オーナーの中内さんが熱心だったし、根本さんにも相談したら「呼ばれてるときがハナだから行ってこい」と言われてね。

木村― やっぱり選手のときと監督という立場でやると、ぜんぜん違うものですか。

田淵― いやあ、もうぜんぜん違いますね。だけど、西武で経験した広岡さんのやり方というか、人心掌握術が参考になりましたね。
 1年目はばらばらだったけど、日を追うごとにまとまってきて、本当に3年目はまとまってましたね、みんな一生懸命。選手が田淵監督はこういう性格で、こういう野球をやりたいんだってわかったときに、任期満了。

木村― また解説者に戻られて。星野さんからコーチにという声がかかるわけですね。

田淵― 2001年の1月に、当時の阪神社長などから、OBとしてアドバイスをいただけますかということで「いまの阪神にマッチする監督は星野しかいませんよ」って言ったんですよ、半分冗談で。そうしたら、その年の11月に星野が就任したんです。
 就任後、ゴルフコンペに行ったとき、星野がいきなり「やるぞ! 縞のユニフォームを着るんだ」って、僕に。普通、「ちょっと待ってくれ」って言うじゃない。でも僕は星野という男を信じていたし、彼には「おまえの言うことにノーとは言わない」と言ってましたから、「わかった、やろう!」って、それで決まりですよ。

木村― 阪神に対するこだわりとか、もうなかったですか。

田淵― まったく。やっぱり50過ぎると、自分の立場、器というのがわかるんですね。自分は、どこかにやさしさが出てしまう。だから監督を支えるほうが合ってるんですね。

木村― でも、どっちかというと田淵さんのほうが実績が上じゃないですか。まあ親友とはいえ、その人の傘下に入るのは割り切りが要りますよね。

田淵― 友達からもそう言われましたけど、そいつに言ったのは「人生はいろいろある。一緒にやって3年目には美酒を飲む」。そしたら2年目に優勝しちゃったんです。

木村― 星野さんがおやめになって、次は田淵さんがやるなんてことはなかったんですか。

田淵― 2003年の日本シリーズが始まる前に彼はやめることを決めてた。最後の広島戦が終わって、山本浩二のマンションで飯を食うことになって、タクシーに乗ったら、「ブチ、次やれよ。おれが全部サポートするから」って言われた。でも「監督、あんたがやめるときは一緒やでと言ったでしょ」って言ったら、「そうか、じゃあしようがねえな」って。

木村― カッコいいですよね。また今回、星野ジャパンで、またノーはなかったんですね。

田淵― ない!

木村― 今回、山本浩二さんを含めて星野ジャパンに入られるわけですが、どうですかね、日本の見通しは。

田淵― いや見通しなんて、勝つことしか考えてませんよ。そのためには、台湾はこうだ、韓国はどうだって、そういうデータを選手にうまくインプットすることですね。代表メンバーは、今さら技術を教えるような選手じゃない。いかに気持ちよく野球をやらせるかというのが、われわれコーチの仕事。
 国際試合というのはいまは動くボールが多いから、やはりそれに対応できるバッターを選ばなきゃいけない。選ぶとき迷ったら、そのときの決め手は度胸ですよ。経験と度胸、これがいちばんの財産だと思います。
 タイガースのときと同じように、星野を男にするのが任務だと思っているし、とにかく胴上げできるようにがんばりたいですね。

木村― 同年代トリオでぜひとも金メダルをとっていただくように期待しています。

田淵― いや、もうそれ以外考えてません。

〈後記〉愛すべきキャラである。まさに天衣無縫、細かいことには拘らない。何でも答えてくれる。私が野球好きとあって、いろいろ質問を投げかけても、ことごとく返事が返ってくる。ただそこに居るだけで、場を明るくもしてくれる。どちらかと言えば、つっこみタイプの星野さんが、この人を必要とするのも分かるような気がする。参戦するからには、ぜひ金メダルを取ってほしい。北京に向って、がんばれ!! タブチくん!!(木村)

撮影=大野純一、構成=森國次郎、写真=時事通信社、ヘア&メイク=高橋ふみえ

木村政雄編集長 Special Interview

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