「でも節目節目で中国から声がかかったり、人生って楽しいじゃないですか。実は私2008年までしかいないんです。中国の記者にその後はどうするのか聞かれたけど、何にも考えてませーんて。聞き方によってはいい加減な人生って思われるかもしれんけど、人生って真剣に生きなければいけないけれど、そんなに決めて生きてもはまるわけないんです。私は節目節目で何かあるから、あると感じるのかな、もしかしたら感じない人もいるかもしれませんね、チャンスを逃している。そういう鈍感さはダメやと思う。中国の話も、簡単に断るのも選択肢だったなと後になって思うんですよ、そうだったら、何でもない人生の一コマになっていたんでしょう」。
自分の人生の節目をきちんと見分けられるからこその言葉だろう。それゆえ56歳で新たなチャレンジができる。
「北京オリンピックの時、私は58歳。それまで1年半の勝負。この歳になって1年半ほどで決着が見れるような大きな仕事にめぐり合うなんて、私ってすごい幸せって思いましたよ。今から10年頑張れって言われたらちょっと自信ないけど。27年間代表コーチをやってきたけど、27年間やってる感覚じゃないですよ、この試合がゴールだからそこまで行く、そしたら次のことが考えられる。27年間しようなんて思ってやってませんでしたもん。この試合までこの試合まで。期限を切られたら、人間って頑張れるんですよ。一生死ぬまで頑張れは辛いけど。来年の8月までなら頑張れますよ」。
「それにね、私コーチが好きなんです。アテネ終わって、自分のクラブのコーチに私の知っていることを伝えようとやってきたけど、考えたら、私は04年までの私を伝えていたんですね。もしかしたら過去のことを教えていたんじゃないかと思いはじめたら、活き活きとしないというか、最前線のものをっていう気持ちが強くなってね。私、やっぱり現場が向いている人間。真剣勝負でないところでは、なんか自分が燃え尽きれない。私はロシアと戦ってきたという自負があるから、最終的には、私が断ったらロシアのコーチが中国に行くのが分かっていたのね、それがどうしても許せなかった。それをやられたら、永久にね、私が生きている限り日本のシンクロはロシアに勝てないと思ったんです。だからすごい後悔するだろうと」。
まさに身を削る勝負の世界に生きてきた人ならではの感覚だろう。井村さんにはいつもまわりの世界がちっぽけ過ぎて、井村さんに見えている勝負の世界とそれに立ち向かう信念が納まりきらないのだろう。中国には双子の蒋姉妹がいる。
「デュエットをするために生まれてきた子って、あの子たちのことでしょうね。素晴らしいです。今のままだと世界一美しいデュエットで終わる。これからアスリートにします。アスリートにしたら勝てます、彼女たちは」。
当然、狙うのは金メダル。4位まできたら、1、2、3位を狙うのがスポーツ選手のあり方だと言う。前しか見ないと言い切る井村コーチ。最後に「秘密よ」と中国チーム全員の見事に揃った美脚のデジカメ画像を見せてくれた。
「すごい綺麗な足でしょ、衝撃走りますよ」。
なんとも嬉しそうな井村さんの笑顔が輝いていた。
取材・文=不二徹、撮影=牧田健太郎
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