それをいっちゃおしまいだ、というのがあったのだ。たとえばの話、男は女より体が大きいし、腕力も強い。がちんこの喧嘩をしたら、だいたいは男の方が勝つ。とはいえ夫婦の争いで、男が「じゃあ俺を倒せるのか」といったら、その先はもう話にならない。それをいっちゃおしまいだよ、ということがある。
お父さんが外に働きに出て、お母さんが家事をしている、というのがだいたいの家庭の形で、金を稼いでくるのはお父さんだ。だからテレビも冷蔵庫もお父さんの稼いだ金で買っている。だからといってお父さんが「このテレビは俺の稼いだ金で買ったんだから、俺にチャンネル権がある」といったら、その先はもう話にならない。それをいっちゃおしまいだよ、ということになる。
金の力も、それと同じようなものだった。それをいっちゃおしまいだよ、という世の中の底の方に、それは押し込んであったのだ。日本の場合、高度成長のころはまだ人の力が優位にあったと思うが、バブルのころからだろうか、金の力が表にあふれ出てきた。ダムが決壊したみたいに、それをいっちゃおしまいだよという言葉なんて弾き飛ばしながら、そのおしまいに向かって金の力は膨張をはじめた。
かつては表にさらしたら恥ずかしいような、猥褻物陳列にも似たニュアンスのむき出しの金の力、株屋や金貸しの力が、いまは堂々と、ヘア解禁どころか内臓露出も平気という感覚で、それが当り前のように人の世の上を吹き荒れている。この世に金で買えないものはないと、大股開きで大見得を切られて、人々は口をつぐんだ。いや、金で買えないものはある、それは金ではなく人の中にある、と正論をいう気力をそがれてしまう世の中の空気は、ほとんど金融ファシズムというものだと思う。
それをいっちゃおしまいの力は、おしまいに向かって強く働いて、膨張の果てに倒産する人、命を絶つ人、牢屋に入る人など、個別にはおしまいに向かっている。でも金融ファシズム全体の終焉は、いつどのような形であらわれるのかは、まだわかっていない。
金融ファシズム
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)1937年、横浜生まれ。『父が消えた』で芥川賞受賞。『ふしぎなお金』『目玉の学校』など、著者ならではの、まともに考えれば考えるほど不可思議な人間社会の謎を探究する目からウロコの名著多数。
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