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那須温泉

 石和温泉以来ぼくの絵が変ってきた。まあ、毎回スタイルが違うといえば違っているのだが、ここにきて急に画面に様々なエピソードが入り込むようになって複雑な様相を呈してきた。Mさんは「寓話みたいで、絵って本来こういうもんじゃないでしょうかね」と言う。でも要素が増えれば増えるほど絵画から遠ざかっていくような気がするが、ぼくの中で絵画でありたいという想いは最近ますます薄れていっているように思う。従来の絵画でないものに憧れ始めているのである。
 年齢と共に、どうでもええやんけという気持が強くなってきていることは確かである。こうあらねばならないという理由はどこにもない。日常生活や人間関係にもこのような現象が表われているけれど、それが一番端的に表われているのが作品だと思う。作品は描かなければならないという時期から、描きたきゃ描けばいい、嫌なら描かなくてもいいという少し無責任になってきている。もともと作品にいちいち意味や責任を持たせることなどには興味がないので、好き勝手に三昧を楽しめばいいと思っている。その辺はMさんも理解してくれているので「未完成のまま掲載しましょうよ」と言ってくれているので、締め切りに追われる不自由さがない。雑誌に絵が掲載された後もずっと描き続けている。今回の絵もこの文章を書いている時点でまだ制作中だ。「いずれ未完と完成を並べて掲載する号があってもいいじゃないですか」とMさんも常識にとらわれない人間である。
 この「温泉主義」はもともと温泉の取材でスタートしたのに、最近では現地に着くなりぼくの関心事は絵の取材に変ってきている。今回だって那須塩原駅からタクシーに乗った途端、絵のイメージづくりが始まった。タクシーが向かう方向には杉木立があちこちに見え、まるでルネサンス絵画に描かれている風景にそっくりではないか。ダ・ヴィンチの描く樹木が様式的だと思っていたが、とんでもない。ありゃリアリズムである。そんなことが解っただけでも大発見だと思ってしまう。そんな杉木立が田植えの準備で水をいっぱい張った鏡のような田んぼの水面に逆さに映っている風景などはコローの絵画そっくりだ、なんてまるで初めて見るように、ぼくはいちいち驚いているのだった。
 いつの間にか一台も走っていなかった車が高原に近づくにつれて、タクシーの前を何台も並んで走っている。思い思いの趣味で建てたような何様式と呼んでいいのかわからんような家が次々と見えてきた。レストランだったり、喫茶店だったり、趣味のお土産店だったり、なかにはプライベート・ミュージアムらしき建物もある。と突然、鉄屑置き場のような廃墟じみた建物の間から日章旗と海軍旗が見えた。また建物と重なるように大砲やゼロ戦までがジャンク・アートのように放置、いや失礼、展示してあるではないか。なんじゃコレッと思ったら、「戦争博物館」と書いた看板が目に入った。のどかな田園風景や趣味の館のあとにこのアナクロニズム的な「戦争博物館」に、ぼくは妙な胸騒ぎを起こした。よし、明日はここを訪ねよう。

横尾忠則の温泉主義

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