ようこそ ゲストさん [ログイン]


トップページ > バックナンバー > 木村政雄編集長 Special Interview > 

  • 印刷
  • 大
  • 中
  • 小

北大路欣也 俳優

父の眼力

(きたおおじ・きんや)本名=浅井将勝。1943年京都市生まれ。父は市川右太衛門。血液型A型。49年京都・紫竹小学校入学。55年京都・同志社香里中学校入学。56年東京・暁星学園中学に転校。暁星学園高校を経て、61年早稲田大学文学部演劇学科入学。56年『父子鷹』(東映)で映画デビュー。主な出演映画は『戦争と人間』(71・73年、日活)、『仁義なき戦い』(73・74年、東映)、『八甲田山』(77年、東宝)、『漂流』(81年、東宝)など。64年に『シラノ・ド・ベルジュラック』で舞台デビュー。主な出演舞台は、『探偵(スルース)』『フェールド』『佐渡島他吉の生涯』など。最近では『華麗なる一族』(07年、TBS系列)における万俵大介役での迫真の演技が話題を呼んだ。07年、紫綬褒章を受章。

父は「旗本退屈男」役で知られる市川右太衛門
大スターを父にもった欣也少年の映画デビューのいきさつ
人生を変えた高倉健さんとの出会い
『八甲田山』『戦争と人間』などロケでのエピソード……
熱い語りと強い視線に父ゆずりの役者魂が宿る

木村―― ドラマで拝見するのと同じように、大きいですね。

北大路― 174センチです。僕ね、生まれたときは小さくて、幼稚園、小学校、中学校まで前から2番目ぐらいだったんです。それで大きくなりたくてね、もう鉄棒にぶらさがったり(笑)。中学の後半ではバスケット部へ入って、もう飛んで飛んで……、それで少し伸びたんですよ。その努力があるから、いまがあるのかもしれない。

木村―― 1943年、京都のお生まれですね。

北大路― 京都の北大路です。いま思えばですね、「西大路」じゃなくてよかったかなって(笑)。「北大路」というのは、響きとしてとてもいいんで。
 東映京都撮影所では、うちの父と片岡千恵蔵先生とが両御大だったんですね。そのときに、千恵蔵先生は嵐山に住んでらしたので嵐山の「山」をとって「山の御大」、うちの父は北大路にいたので「北大路の御大」と言われていたんです。
 ですから、北大路欣也という芸名は、「市川右太衛門はよろこぶであろう」ということのようです。「欣」は「よろこぶ」ですからね。後で聞いたら、まあそういう思いでつけてくださったということです。

木村―― お父様が大スターであるがゆえに、そのお子さんとしては、将来やっぱり自分もそういう道を歩むんだろうなあという思いはあったんですか。

北大路― 子どもの頃から、紙芝居が好きだったし、ラジオの「笛吹童子」をかじりついて聞いていたし、それから、父の映画に近所のおじさんに肩車されて連れていってもらったという記憶もありますから、嫌いではなかったと思いますね。

木村―― 当然ご自宅にも映画の関係者がいっぱいいらっしゃったでしょう。

北大路― ロケのときなんかは、上賀茂神社なんてすぐですから、ときどきうちで装束をつけて行く父の姿も見てます。父だけでなくいろんな方がみえて、衣裳あわせ、小道具あわせなんていうのもやってました。
 でも両親は、後を継げとかは言いませんでしたし、そういう雰囲気もゼロでしたね。

木村―― そうなんですか。どんなお父さんでした? 怖かったですか、やっぱり。

北大路― まあ僕のイメージとしては、やはりスクリーンのイメージが大きくて、普通の父親のように「おとうちゃん」という雰囲気ではなかった。もう最初から岩のように大きくて。
 朝なんかはね、起きてきて「オッホン」てやるんですよ。そのオッホンが合図で、お手伝いさんが動き始めるんです。「ハイ、湯わかせ、なにわかせ」って。次は神棚に行って、ぽんぽんと手が鳴ると、「さあ、食事だ」っていう合図で、そんなふうでしたから、僕は「すげえなぁ」と思ってました。

木村―― 食事はご一緒だったんですか。

北大路― 僕は食事の席にはいませんでした。小学校のときでも、とにかく会わないんですよね、食事の時間はね。
 とにかく「お殿さま」ですよね。もう「退屈男がうちにいる」っていう感じの少年時代でしたね。だから、ひざの上にのっかって甘えたとか、そういう記憶は本当にないですね。

木村―― そういう大スターですから、お小遣いもふんだんにもらえて、なんか好きなものもいっぱい買えて……という少年時代じゃなかったんですか。

北大路― まあ戦後間もなくですから、とにかく物はありませんよね。おやつは金平糖とか、関西では「芋するめ」っていった「干し芋」。そんなものをポケットに入れて遊んでました。

木村―― 中学校は同志社中学ですね。

北大路― 同志社香里なんです。1年間でしたが、うちから2時間ちょっとかかりました。
 朝は、自分で牛乳とパンを買いに行って、それを食べて、もうほんとに暗いうちに出て、夕方帰ってくると、もう日が暮れてる。だからとても厳しかったですよ。

木村―― 中学のときに映画にお出になったんですね、最初の作品に。

北大路― いや、小学校6年生で撮影をして、中学1年生の時に封切られたんです。『父子鷹』という映画で、これはほんとに突然僕にお話があった。子役がいない。で、父子鷹だから、お父さんとだったらちょうど年齢的にもぴったしなんだから「やんなさい」と。
 両親は「おまえが決めろ」ということで、「やろうかな、やめようかな」と悶々と1週間ほど悩んでいたんですが、ついに父親の前へいって、「やらせてください」と言った、というか、言ってしまった。
 そのときの父親の目はね、怖かった。ものすごい勢いで、僕をにらみつけて、本当にやるのかということを確かめましたね、何度も。

木村―― あ、そうですか。

北大路― だからいま思えば、「この道は厳しいぞ。おまえが思ってるほど楽じゃないぞ。おまえはできるか」という目だったんだと思いますけどね。でも幸いなことに、右太衛門の息子ということで、撮影所のスタッフの人たちに、特別にいろいろやっていただいたと思いますね。

木村―― そうでしょうね。

北大路― いきなりですから、なにもできなかった。それをなんとか形にするために、スタッフの方々や俳優さんなど、みんなが協力してくださった。そういう方々の、ほんとに家族以上の愛情があって、いいスタートを切れたと思うんですよ。

木村政雄編集長 Special Interview

一覧(32件)

[ファイブエル]バックナンバー