一つの場所で懸命になるのと、一生を懸命に過すのと、どちらも素晴しいことに違いはないが、移動性と流動性の高まる現代社会にあっては、「一生懸命」の方がふさわしいのかもしれない。
更に言えば、「一生」という言葉すらも考え直してもいいような気がする。我国はすでに人口の5人に1人以上が65歳以上。モナコ、サンマリノに並ぶ世界一の長寿国である。かつては、50年間一生懸命頑張れば優雅に老後を送れた。社会システムが50年を基軸に成立していて、高齢者を支える社会的な余裕があったからだ。ところが今や平均年齢が82歳に達しようという時代である。「人生50年」の後の余生に対して、どのように取り組むかが、個人の心構えの上でも、社会の受け入れの上でも必要になった。
50歳(あるいは定年)以後の時代、つまり二生をどのように生きるかという「二生懸命」を射程にとらえた人生設計が必要になったということである。「二生」を上手く生きるには、ただガムシャラに動いているだけでは駄目である。体力も衰えてくるし、活躍のステージも限られてくる。「二生」には「一生」と違う新しい生き方が求められている。「一生懸命」を「二生懸命」と変えることによって、今までにない新しい生き方が見えてくる気がするのだが……。
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言葉のトラウマを脱しよう
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