このところ郷里に帰る度に病院に行って体のチェックをしてもらっている。今回は妻も診療を受けたがMさんも同行してぼくの身体情報にも関わってくれた。翌朝はホテルで市長と朝食をしたあとタクシーで湯村温泉に向かった。走る車の窓から見るまだ原始の姿を残している山里や自然に、ぼくはまるで故郷の大事な宝物を発見したような嬉しい気分になった。目的地に近づく頃雲行きが怪しくなり大粒の雨がフロントガラスを叩き始めた。「佳泉郷・井づつや」に着いた頃は風を伴った雨が激しく降り、風が吐き出す悲鳴が空気を振動させ、まるで「風の又三郎」が駆け抜けていくような恐ろしいうなり声に体が硬直する思いだった。
こういう自然の生理に触れるのは子供の頃ですっかり終っていたので、こんな恐ろしさにぼくは郷愁のようなものを感じた。部屋の前方に見える山には雛壇のように墓石が立ち並んでおり、駆け抜ける風の底から死者の発する嘆きが伝わってくるようだった。
すでに西脇市役所から連絡してくれていたために女将さんが部屋に訪ねて来られて、旅館内の絵画や陶器などの蒐集品についての想い出話などを聞かされた。ここの旅館には大小いくつもの浴場がある。Mさんや妻は浴場に興味があるのか、あちこち探索していたようだ。面倒臭がりのぼくはどこへ行っても大浴場だけで露天風呂は滅多に入らない。ここの大浴場には観音様が祀られていて気分はすでに仏国土だ。女の児が二人続いて生まれたので、なんとか後継ぎに男児がさずかるようにと観音様を祀った途端、願いがかなったと女将さんは嬉しそうに話した。大浴場の一部に岩盤浴の個室があるので試してみるが、まるでサウナ風呂さながらの熱さにサウナ嫌いのぼくはあわてて飛び出してしまった。
雨は夕方には止んだが暖房を切っているために部屋が寒くてたまらなかった。だけど温泉の湯は体の芯まで温めてくれるので、なんとか朝まで風邪も引かずに休むことができた。温泉の朝風呂は格別気持ちがいい。夜と朝は男女の浴槽が入れかわる。このシステムはどこの温泉宿も同じだ。一泊するだけで二ヵ所の浴槽を味わうことができる。温泉旅行を始めた頃は前夜入った同じ風呂に朝も入りに行って、女性客から注意されたことがあったが、このシステムが理解できてからは、とぼけて女湯に入るわけにもいかなくなってしまった。
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