遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき…
名曲ミスターロンリーと共に落ち着いた城達也さんのナレーション。
団塊世代にとって、『JET STREAM』はあの頃を思い出させてくれる特別なラジオ番組だ。
40周年を迎えた同番組の生みの親の一人である、TOKYO FMの後藤亘会長に、誕生秘話やあの頃のこと、そして未来について語っていただいた。
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TOKYO FM『JET STREAM』
40周年特別インタビュー
今だから、『JET STREAM』を語ろうと思う。
実は企画の段階では10分番組だった
『ジェットストリーム』という番組がスタートしたのは、まだTOKYO FMが開局前の実用化試験放送局「FM東海」の時代でした。試験放送局というのは実用化をするための局ですから、CMも入れるし、普通のラジオ局と変わらない番組作りをしていたんです。旅愁をそそるような番組を作りたいという企画を立て、JALの宣伝課長だった伊藤恒さんのところへ持って行ったのが“始まり”でした。実は伊藤さんがシカゴに勤務されていた時代、深夜に車の中で聴いていたアメリカの航空会社提供による音楽番組があって、「JALでもこんな番組をやりたい」と考えていたと。正直、簡単にスポンサーが決まるとは思っていませんでした。実は企画の段階では10分の番組だったんです。
『ジェットストリーム』といえば、城達也さんのナレーションを思い出される方が多いと思います。番組開始時はパーティーなどで、「ゴルフ番組でお馴染みの…」という紹介をされていましたが、「そのうちに『ジェットストリーム』の城達也にしたい」と思っていたんです。予想以上の反響で、3年でそうなりました(笑)。
番組がスタートする前に、ラジオ関東(現・ラジオ日本)で「ボーッ」という霧笛で始まる『ポートジョッキー』という番組がありましてね。霧笛にヒントを得て「これからの時代はジェット機だろう」と、冒頭にジェット音を取り入れたわけです。ジェット音といえば番組が始まって5年目位の頃、「あのジェット音はすでに飛んでいない機種だ」とリスナーから指摘がありまして。慌てて空港へ録り直しに行ったなんてこともありました。「それだけFM放送は音がいいんだなぁ」と感心させられましたよ(笑)。
まだ、実用化試験放送局の時でした。それまでになかったタイプの音楽番組として、反響は大きかったんですが、予算が非常に厳しくなった時期があったんです。他の番組は予算を削るために局アナを使ったりしていましたが、僕は城さんのナレーションあっての『ジェットストリーム』だと思っていたので。「いずれ本放送免許は得られるので、なんとかそれまで無料で出演してくれないだろうか」と頼んだんです。そしたら、意気に感じてくれて「分かった」と。実は「遠い地平線が消えて…」の名コピーを作った、作家の堀内茂男さんにも同じように頭を下げたんです。二人とも約1年間、無料で番組に力を貸してくれたんですよ。感激しました。まさに、戦友です。JALの伊藤さんは、宣伝課長を交代する時に僕の前で「この番組は会社がなくならない限り続けていくんだよ」と後任の方に話されました。月曜から金曜(当初は土曜)まで、1時間番組を毎週1回のペースで録っていました。当時、番組を担当していたプロデューサーは、1時間番組を70分で録れてしまうんです。曲の長さ、ナレーションを入れるタイミング、すべて彼の頭の中には出来上がっていたんですね。そうやって人の力が結集して続いてきた番組なんです。
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