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天橋立温泉

 翌朝6時に朝風呂に入ったあと下駄履きで天橋立の松林をひとりで散歩に出掛けた。昨日の雨も完全に上がり、辺りの緑がいきいきして見えた。天橋立の松林に行くには2つの橋を渡ることになる。というのは旅館のある側と天橋立の間に横に細長い小さい島があるためだ。手前の赤い橋は大きい貨物船の水路になっているので船が通る度に橋の両端が陸から離れてグルッと90度回転する。まるで歌舞伎の廻り舞台を見ているようで、これも観光の目玉のひとつになっているのじゃないかな。この水路を通る船にはニッケル鉱石が積まれ一日のうちに何度も往復する。われわれが泊まっている旅館の部屋の対岸が天橋立になっていて、部屋の前の庭には樹齢何百年というような老木があって庭越しにその大きい貨物船がゴンゴンゴンゴンなんて音を立てながら庭の木々の間に突然現れるのだが、なんだかハリウッド映画の映像を観ているようなんだ。部屋から見るこの情景は、よくアフリカのジャングルの中の河に蒸気船が突然現れてドキッとする瞬間があるでしょ。そんな映画的な興奮があるのだった。
 東京に夕方までに入らなきゃいけない仕事のために瀬戸内さんは朝食を済ませてわれわれより先に帰られることになった。忙しくしていなきゃ、止まったら病気になる、とおっしゃる瀬戸内さんだから仕方ない。瀬戸内さんを見送ったあとMさんと3人で再び昨日行った伊根の舟屋の撮影に行く。絵の素材のためだ。帰路浦島神社に寄るが、以前行ったぼくの記憶にある神社ではなかった。浦島伝説は各地にあるので、どうも別の神社と思い違いをしていたようだ。古色蒼然として灰色がかった小さい神社で見るべきものもないので、側に浦島館というテーマパークっぽい建物があったのでそこに入ってみることにした。まあなんというか、お粗末なパビリオンで無料でも高いくらいで、逃げるように引き上げることにした。今日になって妻はあれだけ怖がっていたケーブルカーも観光船も乗ってもいいと言いだしたが、何しろ1日に1本か2本ぐらいしか京都行の電車がないので、早々に天橋立を後にすることにした。
 今回も描く絵は決まっていないが、ぼくは自分を能における旅の僧だと仮定している。まあ放浪の画家でもいい。旅は肉体を通してここから別の世界に行くことだ。そしてその別の世界で僧または放浪の画家と仮定したぼくはそこで物語の主人公シテに会うことになる。今回でいえば浦島太郎がシテになる。しかも白髪の老人になった浦島太郎だ。その浦島太郎が旅の僧または放浪の画家と仮定したぼくに今晩のあなたの夢の中に現れて私の信じられないようなお話をいたしましょうと約束する。そこでぼくは浦島太郎に龍宮城の物語を聞かされる。それが絵となるわけだ。海底のイメージはぼくの中ではジュール・ヴェルヌの「海底二万里」である。浦島太郎と「海底二万里」の主人公ネモ船長にも登場してもらうかな。
 以前秋保温泉では夢の中に本当に伊達政宗の亡霊が現れたことがあったが、能を地でいくような体験だった。旅の絵の主題を能の仕掛けに合わせることに気付いたぼくはしばらくこれでいこうと考えている。

横尾忠則(よこお・ただのり)1936年兵庫県生まれ。美術家。昨年、パリのカルティエ現代美術財団で個展を開催し高い評価を得た。近著に『横尾忠則Y字路』(東方出版)、『病の神様』(文藝春秋)がある。2006年日本文化デザイン大賞受賞。2007年兵庫県功労者(県勢高揚功労)表彰。現在「横尾忠則温泉主義」西脇市岡之山美術館(~9月30日)を開催。「澁澤龍彦幻想美術館」札幌芸術の森美術館(8月10日~9月30日)に作品を出品。また秋には、ミラノで絵画の個展を開催予定。6月には2001年から自身のブログに書いたテキストを書籍化した『悩みも迷いも……(非常に長いタイトルのため以下略)』を勉誠出版より刊行した。
オフィシャルホームページ:http://www.tadanoriyokoo.com

横尾忠則の温泉主義

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