でも「しょうがない」という言葉は戦前からある。江戸時代からある。発音その他は変っても、平安時代とか、万葉集でもあっただろう。ぼくは歴史の知識は薄いが、しょうがないという日本人の感覚の歴史には濃いつもりだ。
そもそもが、しょうがないの風土である。台風が来てもしょうがないし、日照りがつづくと困るけどしょうがないわけで、春になれば、秋になれば、来年になれば、としょうがない苦難を飲み込んでやってきているわけで、地震なんて本当にしょうがない。だからもう地震はしょうがないなんて、いちいち発言はしないし、そんなことは体の中に飲み込んで生きてきている。
だから襖を引っ掻いた猫に対して、しょうがない、という場合の言葉の含み幅は、世界中でいちばん深いのではないかと思う。ONかOFFかで動くコンピューターを発明した西洋社会とは、そこのところがずいぶん違う。とはいえいまの日本はお手本が西洋だから、そういう言葉の含み幅のところで、自分自身とまどうわけだ。
辞めた防衛大臣は、例の発言の後も、いろんな質問に対して、それはしょうがない、あれはしょうがないと連発していた。防衛の任にありながらあまりにも無防備で、ガード下の酒場でなら当たり前の会話だけど、場所が違った。だから問題は、最後のところでは、日本人自身の複雑系の問題に返ってくるわけである。
「しょうがない」の問題
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)1937年、横浜生まれ。『父が消えた』で芥川賞受賞。『ふしぎなお金』『目玉の学校』など、著者ならではの、まともに考えれば考えるほど不可思議な人間社会の謎を探究する目からウロコの名著多数。
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