ぼく、だって、「しょうがない」という言葉はよく使う。いちばん使う相手は猫だ。自分ちの猫が、襖をガリッとやってしまう。
「大事な襖を!」
と怒るが、猫は別に、
(え? どうしたの……)
という顔をして、すましている。そうするとこちらは怒ろうとしながら、怒れない。まったく、しょうがない、ということになる。
つまり可愛さが根底にあり、その上でのワルサだから、いちおうは怒ろうとするものの、まあしょうがない、ということになってしまう。
赤ん坊への愛情がそうだ。赤ん坊も猫と同じで、障子を破いたり、襖に穴を開けたりする。襖に穴を開ける赤ん坊となると力士級かもしれないが、ころころした自分ちの赤ん坊だとなると、まあしょうがない、となってしまう。それはわかるが、でもそのしょうがないだけが昂じると、いまみたいな超過保護子供世界が出現する。
人間は何かを可愛がる能力をもっている。それがいまの一人っ子に向かうと、それこそペロペロのふにゃふにゃになりやすく、それではいかん、子供にはもっと厳しく、だから可愛がる能力は他に振り向ける、というために最近のペットブームがあるのかと思ったら、どうもそうではないらしい。子供は可愛い、ペットも可愛い、地球も可愛い、となって、すべてを可愛がる良い人(見かけ上)になってしまって、厳しさというのがどこにもなくなる。
しょうがない、というのは生活上の成りゆきというか、言葉の方便なのだけど、とはいえ、原爆=しょうがない、となると、問題が生じる。言葉の方便としてやり過ごすには、ちょっと意味が重過ぎる。
重いものは持ち運ぶのが大変だ。厳重な注意が必要である。油断して手を滑らせたら、壺であればフチを欠いてしまったりする。むかし『恐怖の報酬』という映画があった。トラックに満載したニトログリセリンを運ぶ。あの場合は重量というよりも、危険な爆発物だ。一滴でも落したら、ドカンと爆発する。そのトラックを慎重に運転して目的地まで運ぶ。それでも二台のうち一台は、ミスをして一巻の終わりとなった。
というスリルが全篇にみなぎり、あれは名作だったが、「原爆=しょうがない」の発言は、あまりにも緊張感がない。トラックを運転して、最初のカーブで簡単に爆発させてしまったわけだ。
「しょうがない」の問題
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