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菅原文太 俳優

74歳 いろんな人間を見たね

本物より本物らしく……

木村― 映画のほうには、どういう縁で行かれたんですか。

菅原― いや、喫茶店で新東宝の宣伝部員から声かけられてね。「映画やんない」なんて言われて、こっちは「やる」って。
 そんなこと毛頭考えたことなかったんだけど、自分で行きたい学校はやめてしまったし、帰るたって、あったかくて豊かな家があるわけじゃないし、まあなにかうだうだ暮らしていかなきゃしょうがないのかなと思っていたとき、そういう話があったからね。
 「金くれるのか?」と言ったら、金はくれると言うし、「まあ一回来てごらんなさい」なんて言うので、撮影所へ行ったら、監督に会わせられて、頭のてっぺんから爪先までじろっと見られてね、「ああいいでしょう」なんて言われたのが初めてで。
 最初の出番がピストル持たされて人を殺す役だった。最初からこうなると運命づけられていたのかもしれない(笑)。

木村― 以来、今までに映画には何本ぐらいお出になっているんですか。

菅原― 数えたことないからわかんないけど、250本ぐらいはやったんじゃないかな。

木村― その250本のなかに恋愛映画ってあるんですか?

菅原― まったくない。もうただひたすらピストルを持って、アクションと立ち回り。芝居なんていうのは、もうしっちゃかめっちゃかだから。

木村― それまでに演技の経験はまったくなかったんですか。

菅原― 何もないよ。

木村― それでもなんとかなるもんですか。

菅原― 演技なんてものは、バーチャルの世界で、なんかのまねっこするだけの話だから。本物ではないわけだから。

木村― でも本物のやくざより本物らしかったりするわけですよね。

菅原― それはよく言われた。本物に言われたよ、「おれたちより本物らしいな」なんて(笑)。

木村― だから、東映の映画を見て、映画館を出てきたときは、みんな健さんや文太さんになったりしてましたものね。

菅原― 映画に出はじめたのは昭和30年頃で、その頃になると、なんとか日本も目鼻がつき始めてきたけど、まだまだごちゃごちゃしてた。金もないのに、どこかで焼酎一杯にありつこうと、友達と新宿とか渋谷をうろうろしてたね。
 新宿西口のカストリ横丁なんかの屋台で出てくるつまみなんていうのは、なかにタバコの吸殻が入っていたり、焼酎だって、アルコールと何かを混ぜたもので、運良く目もつぶれなかったけど、いったい何を飲まされていたのか(笑)。
 そんななかをうろうろしていると、いまのホームレスどころじゃないような地べたをはいつくばっている人間とか、ときにはおまわりが武装して出てきたり、地回りのおにいさん方もしょっちゅう目にしてた。ときに「おい若いの、飲めよ」なんて飲ましてくれたりね。「なんだ学生か」なんて言われて、学生というのは案外率がよかったね。まあ、そうやって、いろんな人間を見たね。

木村― 映画のモデルになるようなタイプは目に入っていたわけですね。

菅原― 入っていた。そういう人間や動きはよく見てたから、ケンカも目の前で見たしね。

木村― そういう時代とはいえ、ずっと硬派だったんですか。やわらかい話は少しぐらいあったんでしょう?

菅原― 硬派だけで通したわけじゃないよね。まだ遊廓なんていうのもあったしね。なくなったのは昭和33年かな。

木村― 映画の世界へ入られても、女性がいっぱい寄ってきたりとかなかったですか。

菅原― 全然寄ってこなかった、東映なんていうのは。

木村― そうなんですか。祇園街とかに行ったら……

菅原― 祇園街なんて行ったことないよ。ああいうのはあまり好きじゃなかったね。おれなんか飲むときは、やっぱり汚いバーで、ただガブガブ飲むほうだった。前からそうだったからね。
 でも片岡千恵蔵御大の話を聞くと、「おれの頃はな、1ヵ月も2ヵ月も祇園に居続けて、そこから撮影所に通ったよ」なんて言ってた。

木村― ところで、菅原さんは三船敏郎さんを非常に評価されていますが、三船さんのどこを素晴しいと思いますか。

菅原― やっぱりあの人の荒々しい男としての存在感かな。その裏に、ある種の哀感のというか、悲しみのようなものもちゃんと持たれていてね。

木村― 『荒野の素浪人』(1972~74年、NET〔現テレビ朝日〕で放送)とか見てますと、あまり演技なさっていませんね。

菅原― それがあの人の魅力ですよ。本当に演技なんていうことを念頭から全部外してやっていたんだろうと思うよ。大スターはみんなそうだよね。片岡千恵蔵御大がそう言っていた。「おい、俳優なんていうのは技術なんかいらねえぞ」、「これだけだよ」なんて胸をたたいていたね。だからおれも続けられたのかもしれない、技術がないから(笑)。

木村― 菅原さんは三船さんとダブるところありますよね。

菅原― いやあ、それはかなわないよ。立ち回りさせたら、あのぐらい速い人はいないだろうね、戦後では。抜いて、斬って、サッとね。そういう体の動きというか、はやぶさのような動きをできる人はなかなかいないよな。戦前なら、阪妻(阪東妻三郎)さんかな。あと片岡の御大とかね。

木村政雄編集長 Special Interview

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