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あわら温泉

 まあ、こんなことはどうでもいい。街中には明治、大正、昭和初期頃の建造物があちこちに点在していて、古(いにしえ)の情緒に十分浸ることができるのに、この辺も宣伝が下手だと思う。毎回郵便局で日付入り風景スタンプを押してもらうが、窓口でこの地のスタンプの絵柄の説明を求めても、「さあ?」じゃ、困るでしょう。地元の歴史や観光や風物に対する愛情が欠落しているのとちゃいますか、といいたくなる。こんなところにも宣伝意識が足りない。海岸に面して水族館があるというので、さっそくそこに向かう。水族館といったって、小さい水槽が並んでいるだけで、なんだか魚の牢獄という感じで、ぼくが魚だったら閉所恐怖症でとっくに発狂してしまっているだろうと魚に同情するのだった。そんななかでドクターフィッシュだけが面白かった。ここはやや大きい水槽で、温水のなかに手を入れると魚がサッと寄ってきて、手が真っ黒になるほど集まって手の皮膚の掃除をしてくれるのである。ぼくはここ数ヵ月血流が悪いのか、手の指の先が冷たい。ところがこのドクターフィッシュが手の痛みをすっかり治してくれたのである。これは草津温泉で帯状疱疹が治ったことに次ぐ奇蹟だと思ったが、数時間後にはまた元通りになってしまった。でもこれを続ければ治るかもしれないという手応えだけはあった。
 この水族館でもイルカショーが観られた。
 本当に感心するほど、調教師の指示に従ってかなり難しい演技をこなすのだった。水中を泳いでいる3頭のイルカが同時に空中に飛び出す。水中でテレパシーを交しながらタイミングを計るようだ。もしぼくがイルカだったら、あんな風に見事な演技をする自信がないとつくづく思って、イルカに尊敬の念を抱いて観ていた。
 次に行った所は東尋坊である。かつて2度ほど行っているが、東尋坊は石川県だとばかり思っていた。こんなぼくみたいな地理音痴の人がいるので、東尋坊は福井県ですよと、しっかり宣伝してもらいたい。ここは自殺の名所で有名。お土産屋には「もう疲れました」と書いたTシャツが売っていたが、これってシャレですかねえ。タクシーの運転手は年間50~60人の自殺者が出ると話していたが、こんなことで有名になるなんて、福井県にとっては不名誉なことだ。
 この夏は全国的に猛暑で、熱中症で死者がたくさん出たという。ここ福井も例外ではない。こう暑いと早いとこ旅館に入って温泉にでも入りましょうということで、芦原温泉の八木旅館に入った。タクシーの運転手が芦原温泉は殿方の奥座敷で有名だというものだから、あの石和温泉と同類か、と半ばあきらめていたが、この八木旅館はとんでもない。建物も温泉も料理もサービスもナンバーワンである。石和と同様、田んぼの真ん中に湧いて出た温泉らしいが、八木旅館の歴史は古く、120年の歴史がある。屋敷内には2個所温泉があるが、泉質がそれぞれ異なっている。もちろん両方とも源泉である。八木旅館に関しては奥座敷という呼称は当てはまらない。タクシーの運転手を口止めするわけにはいかないが、芦原が殿方の奥座敷として宣伝されているようでは、一般旅行客にとってはマイナスイメージを与えることになる。この辺のイメージづくりに関しても宣伝下手だというしかない。
 案内された部屋も3つ4つあってじつに快適で、街のなかにあるはずだが、建物の周囲の広大な造園によって見たくない街の景色はみんなシャットアウトされていて、街なかのオアシスという感じである。部屋の担当の仲居さんは20数年前、富山の宇奈月温泉で働いていた時に、ぼくに会っているといわれたが、ぼくには記憶がなかった。雑誌の連載取材で日本中の観光地を2度廻っているので、もしかしたら富山の宇奈月温泉に行ったのかもしれない。とにかく物忘れの激しいぼくだ。覚えているほうが不思議である。だからあと数年して、芦原温泉に行ったかどうかさえ覚えていないかもしれない。

横尾忠則の温泉主義

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