つらければ頑張らない、昨日いっぱい笑ったから、
今日はクヨクヨしたってしょうがない……
邦子流「人生の処方箋」はお疲れの中高年に効き目がありそうです
山田邦子 タレント
個性が一つ増えたな
(やまだ・くにこ)1960年6月13日、東京生まれ。川村学園の中学・高校・短大を卒業後、81年5月、TBSドラマ「野々村病院物語」でデビュー。またバスガイドねたでバラエティ界にデビュー。同年にビクターレコードから出た「邦子のかわい子ぶりっ子」(バスガイド編)シングルレコードが大ヒット、「ぶりっ子」という流行語まで生み出した。以後、司会・ドラマ・講演・執筆など多方面で活躍。89年から96年までNHKの「好きなタレント」調査で8年連続第1位を記録。最近では01年に芸能生活20周年を記念して、初座長公演「夢番地一丁目」を上演。以後「夢見る女」「江戸っ子芸者夢奴奮闘記」など「夢」シリーズで若手女座長として高い評価を得ている。00年番組制作会社社長の後藤史郎氏と結婚。07年4月、「最終警告! たけしの本当は怖い家庭の医学」への出演がきっかけで乳がんが発覚。二度の摘出手術を経て、現在も治療中。
木村― 先日はラジオに出ていただいて、川村学園の話とか、お父さんのお話をうかがい、ありがとうございました。
山田― そうそう。木村さんのお嬢さんも川村学園というので、びっくり。
木村― うちの娘は中学でやめてしまったんですが、山田さんは結局短大まで行かれたんですね。
山田― ええ、ぜんぶ行きました。主のようになって終わりました、最後は(笑)。
木村― 学生時代に「笑ってる場合ですよ!」に出演したんですか?
山田― あの番組に出たときは、ちょうど卒業したばかりだったんです。
木村― あっという間に売れましたよね。
山田― 売れましたね。そんな時代だったんですよ、なつかしいわ、27年も前ですけど。
木村― いちばん多いときは、週に何本レギュラーで出演していたんですか?
山田― レギュラーで16本です、どうかしていますよね。
木村― NHKの好感度タレントでも8年連続でしたね。
山田― そうですね。いまはもう調べないみたいですからね。ということは、私が最初で最後の8年連続一位ということになるわけですね、ヘヘヘ……
木村― すごいですよ。そんなときに、4日間休みがあって、ニューヨークへ行ったら、なんか涙が出てきたとおっしゃってましたね。
山田― なんででしょうね。私、家では外泊も禁止でしたし……
木村― 門限5時だったんですよね。
山田― ほんとにキツイところにいたもんですから、初めて旅行に行くのにどこがいちばん自分のためになるかなと思って、緊張感があるのはニューヨークだろうということで、選んじゃったんですね。
そしたらね、街が大きくて、まあ見るものもぜんぶ新鮮で、当時はお芝居も映画もファッションも日本よりずいぶん早いし、ぜんぶにあこがれてしまってね。それで休みを見つけては4日間でも行きましたけどね。
木村― フジテレビ主催で1泊3日のツアーをやっていましたよね。あれ、なんだったんだろう。
山田― あれは『キャッツ』の観劇です。行きました、なつかしい。飛行機の中はぜーんぶ芸能人。「オレたちひょうきん族」からは、横澤さんと私とさんまちゃんと3人だった。私の隣はさんまちゃんで、座席の上に立ち上がってジャージに着替えたりしていた(笑)、もうダサイ。まだ、みんな20代でした。
木村― 躁状態でしたよね。
山田― そうですね。なんかみんなでわあっと盛り上がっていた時代ですよね。
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