草津温泉の次は下呂温泉と決めていた。この両温泉はどちらが姉か妹か知らないが、姉妹温泉の関係を結んでいると知ったからだ。
下呂駅に降りると、駅の構内にある漫画家の小島功さんのなまめかしい女性を描いた観光ポスターが目に飛び込んできた。昼を過ぎていたのでタクシーで町に出て、まず腹ごしらえをすることになった。飛び込んだ一軒のそば屋でにしんそばを食べたが、そば粉が多いのか粘りがなくボソボソした感触は、ぼくの口には合わなかった。どうやらこの辺りのそばの特徴らしい。
そば屋の窓の下には飛騨川が流れ、川原には露天風呂があって、昼間から人が入っているのが見えた。
まず町の様子を知るために散策することにした。この地にゆかりがあるのか、やたらと野口雨情の歌碑が目につく。草津もそうだったが下呂も坂道が多い。そんな道に面して、足湯や共同浴場があちこちにある。ぼくを少し喜ばせたのは橋の欄干にチャップリンの像があったことだ。というのは、ここ数日間チャップリンの自伝を読んでいて、旅先にもこの本を持ってきていたからだ。
町には人出もなく、観光客はわれわれ三人だけじゃないかと思えるほど森閑としていて、何かが去ってしまったあとのようにアンニュイな雰囲気だけが辺りを支配していた。あとで知ったのだが、なんでも二日ほど前にはお祭りがあって、大勢の人出があったそうだ。だからか町はもぬけの殻のような風情を呈していたのである。
山の中の急な坂をタクシーでどんどん登って行ったところに、われわれが投宿する湯之島館がある。古色蒼然とした森の中に佇んでいる建物は、一見寺院のようにも見えるが、アールデコ様式の洋館でもあり、和洋折衷が妙なエキゾチズム的ロマンを醸し出していた。この旅館には原節子をはじめ大勢の芸能人が来ていて、彼女たちの写真が飾られている。
通された部屋は四階だったが、山の斜面に突き出した離れで、総檜造りの東屋で「春慶荘」と呼ばれていた。この名の由来は梁や床柱などの造作や調度品に施されている春慶塗からきているそうだ。畳の縁やトイレの便器までもが春慶塗と同色の赤茶色で統一され、部屋の雰囲気がなんとも暖かく、エロティックでもあった。ちょっと文士などが投宿して書き物でもすると似合いそうな部屋だと思ったら、司馬遼太郎氏が「街道を行く」でこの部屋を紹介しているという。部屋の赤茶色と周囲の深い緑が実にいいコントラストを演出している。
この部屋の一角にある戸を開くと、その先は地下に降りて行くような長い曲りくねった忍者屋敷のような廊下になっていて、その先には秘密めいた浴室がある。こんな浴室に一人で入るのは怖いので、ぼくは大浴場に行ったが、妻はこの穴倉のような浴室を好んだ。
下呂温泉
![[ファイブエル] 団塊世代のエンターテイメント誌 Entertainment Premium Magazine](/img/header_title_in.gif)



![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)