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花巻温泉

 まだ外は明るかったが大浴場で疲れた身体を癒すことにした。浴場には数人の客がすでにいた。湯は熱くもなくぬるくもなく、理想的な温度だった。体に吸いつくように密着する湯のなんとも形容しがたい感覚は子どものころ川で捕ったなまずの皮膚の感触そっくりで、自分の皮膚がなまずに擬態したのではないかと思うほどで、自分が大なまずにでもなったような気がするのだった。体がぬるぬるする感触は多くの温泉で経験してきたが、ここの温泉に比べると他所は比較にならない。自分の体を手で撫で回すのは、かなりナルシシズムな行為であるが、そうせざるを得ないほど、皮膚がエロいのである。そんなわけで、ついつい長湯をしてしまった。夕食の席で顔を見合わせるなり、3人はエロい湯の話に花が咲いた。
 花巻全体の温泉がみんな同じ泉質かどうかはわからないが、この湯に入った人なら誰でもナルシシズムの感覚にある種の官能を覚えるのではないだろうか。今のところ温泉の効用は別として触覚に与える効用はナンバーワンである。温泉の優劣は結局総合的な要素で決まるが、目的はやはり温泉そのものの感触を味わうために来るわけだから、温泉がつまらなかったら喜びも少ない。料理に関しては、どこも似たり寄ったりだが、花巻温泉は前沢牛が特産というだけあって、さすが美味しかった。ぼくは夕食に肉を食べると夜中に胸焼けがするのだが、この赤身の肉はその心配がなかった。
 だけどなぜか眠れなかった。温泉旅館ではいつも眠れないので、慣れているベッドルームを用意してもらうのだが、どうも温泉に入ったあとの体質の変化がぼくの眠りを遮るような気がするのである。温泉に入ると体は、翌朝はおろか次の日も一日中ポカポカ温まっているくらいだから、この作用がどうもぼくの睡眠の邪魔をしているのではないかと、最近は思うのである。不眠のまま朝風呂に入って再びなまずになる。
 朝食のあとタクシーで中尊寺に行くことになったが、その前に「萬鉄五郎記念美術館」に寄る。萬といえば日本のフォービズムの元祖みたいな画家で、いま見れば、あの有名な「赤い目の自画像」なんて作品はどうってことないように思うが、なぜか名作ということになっている。まあそれほどフランスのフォービズムの導入が革新的であったのだろう。自画像以上に有名な萬の作品は何といっても「東京国立近代美術館」所蔵の「裸体美人」であろう。草上に赤い腰巻き姿の半裸の女性がオダリスクのポーズで寝そべっている姿は、ゴッホを彷彿させる原色のストロークで描かれている作品だが、人物を太い黒の線で縁取りして平面化させたところに、この絵の近代性があるのだが、それ以上に目を引くのは黒い脇毛の描写である。それにしてもこの作品は彼の卒業制作である。それが彼を一躍有名にし代表作とされたことに本人の心中は如何なるものであっただろうか。

横尾忠則の温泉主義

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