木村― 同窓会とか行かれることあります?
小西― 行きますよ。がっかりして帰ってきますよ。
木村― 浮くでしょう、やっぱり一人だけ(笑)。
小西― 浮いているけど、ぼくは正しいと思っている。
ぼくは三重なんですよ。小学校から三重大学の附属にずっと行っていましたからね。あそこには、わざわざ寮に入ってまでくる。附属中学校から灘高へ行って、灘高から東大へというのが一つのパターンです。
木村― なるほど。
小西― ですから、同窓生というと、大学の学長であったり、衆議院議員であったり、県会議員であったり、はたまたどっかの医者であったりというのが多いんでね。みんな偉ぶっているね。それに五七歳にもなると、頭も真っ白になっちゃって、もうあきらめているよね。風邪引いているんだったら、四、五日じっとしていたら元気になるけど、老いていくというのは、ほっとけばほっとくほど老いていくからね。もう無理だね、彼らは。もう一〇年間さぼっているから、もういまさら……。
木村― ハハハハハ、そうですか。三重大学附属中学へいらしていて、ふつうなら灘高へ行くというコースをどうして選ばなかったんですか。
小西― ぼくはね、なんか人が決めたことを覚えるのが大嫌いなんだ。だからいまだに漢字、歴史まるでだめだね。だから受験とか、そういうものに対して非常に反発してましたね。
木村― すごいお金持ちだったんですよね。びっくりしたのは、小学校の先生が来るからといって、家を改装したそうですけど。
小西― 夏休みに家庭訪問があるというので、日本間を洋間にしちゃった。
木村― ハハハハハ、すごい。
小西― ピアノは入ってくるわ、籐の家具は入ってくるわ、びっくりしましたよ。あれは50年近く前でしょう。スリッパでフローリングを歩く習慣というのは、そこからですよ。親に感謝しますよ。
木村― 主にお母さんのセンスですか。
小西― ええ、見栄っ張りもここまでくるんだから。
木村― ハハハハハ。お父さんはどうだったんですか。
小西― オヤジの家系はぜんぶ医者なんですが、オヤジだけが社会保険の仕事で、医者じゃない。落ちこぼれなんですよ。
木村― お母さんは地元でも有名な呉服屋さんの家系だったそうで、小西さんはお母さんの血がすごく濃いんですね。
小西― 母親とはいわゆる親子の間というよりは姉弟みたいなもんですね。世の中でいちばんの理解者だと思っているんだけどね。
木村― それで東京へお出になって、佼成学園から明星大学の理工学部ですね。
小西― これはいろいろあるんだけれども……ともかく受験勉強なんかしなかったですね。興味の中心は洋服。いろんなことを吸収しようとして、洋服ばっかりつくっていました。
木村― やっぱり幼いときのお母さんの影響なんですかね。
小西― そうですね。
木村― 在学中に文化服装学園へ移られて、ロンドンへ行かれたんですか。
小西― ロンドンに行ったのは大学に入ったころです。あの当時はすごかったな。見るものすべてを吸収しようとした。ロンドンのクラブで、すごい衝撃的なものを見て、その夜、眠れないですよ。どうしたらあのシルエットができるんだろう、本格的にそれを学びたいと思って、文化服装へ行ったんですね。
木村― なるほどね。最初に就職したのは「グラス・メンズ」でしたっけ。
小西― そのころはまだ「グラス」だったんです。すごい会社でね。入ってひと月ぐらいで、家宅捜索(笑)。社長が数ヵ月間会社に来ない。それから、専務、部長……。みんなマリファナ吸って逮捕されちゃった。みんながどんどんやめていくので、ぼくの仕事が増えていった。あいつもやめたから、これをやんなきゃいけない。そんなこんなで、なんでもやらざるを得なかったね。手形の切り方まで覚えましたよ。
木村― そうなんですか。それで独立されるわけですね、二九歳ぐらいですか。
小西― 独立する気はなかったんだけど、どんどんやめていくうちに、社長のほうから、ぼくに「社長になってくれ」と言われてね。次の月は給料が倍なんだよ。そうなると、目標がなくなっちゃって、なんか気が抜けちゃいまして、そこから急激に自分で独立しようと思い始めましたね。
数年がむしゃらにやりましたけど。そんな甘くなかった。まず、金銭的なものでつまずきましたね。そこからは、もうドロドロですよ。
木村― でも三〇代、四〇代はよかったんでしょう。
小西― 自分のわがままで、けったいなものをメチャメチャつくった。それが受け入れられる時代だった。それで企業化して、どんどん店舗が大きくなっていくと周りがほっとかないですね。もうメチャクチャですよ。もうあしたどうなるかわからない。不安定もいいとこ。だから、なかなか家を建てることもできなかったです。ローンなんかだめですからね。うまいもんなら、いまのうち食っておけということでしたね(笑)、美食家でした。
木村― そうですか。それで50代でマイナスになったんですか。
小西― そうですね。49から50ぐらいですね。やっぱり変わり目ですよね。ぼくら、やっぱり人と違うことをやっていたわけ、損得なんか考えない。最初からリスクのかたまりみたいなもんですよ。タレント業に近いですね。どうなるかわからない。
例えば一枚のセーターに色が100色ぐらい入っているわけ。冬物だといっているのに、いちばん保護しなきゃいけない背中がスピーカーのコードで編んでるから、寒い、重い、痛い(笑)。それがアートだといって重宝されているうちはいいんだけど、「そんなのいらない」と言われるのがふつうだと思う。
木村― そのころの小西さんって、鼻持ちならなかったと思いますよ(笑)。いまのほうがはるかに魅力的じゃないですか、キャラクターとして。ファッションの世界だけじゃなくて、いろんな世界と交差している。
小西― 頭を切り替えることができたんだ。いままでって、わかる人がわかるというマーケットなんですよ。でもこういうメディアの世界って逆ですよね。一般の人が理解できないとだめなんだね。そのころからだね、ファッションチェックが始まったのは。「ぼくの何十年間の経験を、一般の人に、どこかの田舎のおばちゃんとか、たばこ屋のおばちゃんでもいい、そういう人たちにわからせてやりたいな」と思って始めたんですよ。
ただ、いま木村さんが「いまのほうがいい」っておっしゃったけど、よくもないですよ。あした起きたら仕事あるかどうかわからない。
木村― ハハハハハ。
小西― 来年58歳になるのに、会社の設立当時となんにも変わらないんだよ。いまだにワクワク、ドキドキ、ハラハラしててね。
木村― でも、それがいいんですよね、きっとね。
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