全日本ジュニアチームのコーチになったときから、「女性初の」という称号がついてまわる。まだまだ男性社会の中で、いつも「前例がない」としてバッシングを受けた。
「シドニーで銀をとっても叩かれたし、アテネでは銅だったからまた叩かれた。スポーツの世界は楽ではない。楽して勝つスポーツなんてない。本当に苦しい。それを一生懸命やってるのに、なんで? という思いはあります。だけど、勝つというのは一位になること。一位にならなきゃいけない。結果がすべて。結果を出さなきゃいけない。その悔しさがあるから頑張れるんです。「今に見てろよ」という気持ちがずっとある。負けず嫌いなんですよ(笑)。叩かれたときは辛かったけど、今振り返れば、そのおかげでやってこれた」
宇津木さんは現在、ルネサス高崎女子ソフトボール部の総監督をつとめている。監督をつとめる宇津木麗華さんは、中国名を「任彦麗【ニン エンリ】」さんといい、一九七八年、一五歳のときに北京で宇津木さんのプレーを見て以来、宇津木さんに憧れを募らせ、やがて来日して帰化したという、これまた信念と情熱の人である。
一九八一年、カナダで開催された世界ジュニア選手権で、宇津木さんは日本チームのコーチ、麗華さんは中国チームのキャプテンとして再会した。
「毎晩、私の部屋に来るんです、教えてくれって。言葉は通じないから、筆談ですよ。図解したり、バットを持って身振り手振りで教えて。敵とか味方は関係ない。ソフトボールをやってる人は、みんな仲間だと思ってるから。一八歳の子が、言葉も通じないのに、こんなに熱心に聞きにくるなんて偉いと思って、しっかり教えてあげましたよ。そしたら打率が六割台で記念のトロフィーをもらっちゃった。それを私にくれようとするんだけど、これはあなたのものだからって言ってね。教えたことをすぐにやるんだから、すごいなと思った」
そして麗華さんは一九八七年、「宇津木さんと一緒にソフトボールがしたい」という夢を叶えるために来日。日本国籍を取得し、日本人選手としてシドニー、アテネの五輪に出場、メダル獲得に貢献したのは周知の通りである。今は総監督と監督として、力を合わせてチームを率いている。
宇津木妙子
ルネサス高崎女子ソフトボール部総監督
国境を越えてソフトボールでつながる
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