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「テレビで私のことを見た人は、いつも選手を叱ってるイメージしかないでしょうね。ソフトボールの振興で指導に行くと、子供たちが「怖い監督だと思ってたけど、実際に会うと優しいんだね」って(笑)。グラウンドでへらへら笑ってたら監督なんてできないですよ。サンバイザーかぶってサングラスつけて、ノックバット持ったらガラッと変わります」
女性で初めて日本代表女子ソフトボールチームの監督となった宇津木さん。シドニー五輪では銀メダル、アテネ五輪では銅メダル獲得へとチームを導いた。代表監督として臨んだすべての大会でメダルを獲得。二〇〇五年には日本人指導者として初の国際ソフトボール連盟殿堂入りを果たし、輝かしい人生を歩んでいるように見える。が、ご本人にとっては「こんなに頑張っているのに、なんで認めてくれないの?」という悔しさ、それをバネにして、努力に努力を重ねてきた日々だという。
宇津木さんがソフトボールを始めたのは中学一年生のとき。先輩の理不尽な説教に反発し、一年生七人で相談して学校を休むことに。ところが実際に休んだのは宇津木さんだけ。先生から一ヵ月の草むしりを命じられた。もっと辛かったのは、宇津木さんがチームに戻ったために、レギュラーから補欠になる子が出てしまったこと。苦しく、辛い思いをした。
「その子も悔しかったんだよね。だからその子のために、その子が認めてくれるまで頑張るしかないと思った。それがきっかけで走るようになって、今まで四○年以上毎朝走ってます。三年生のとき国体で準優勝した後、その子が「妙ちゃん、ごめんね。ありがとう」って。お礼を言うのは私のほうで、二年半、その子のおかげで頑張れたんです。あのときの思いがずっと続いてる。私が中途半端なことをすると、人に迷惑をかける。やると決めたことはしっかりやる。それは自分の中で信念としてあります」
ユニチカ垂井で活躍した後、日立高崎(現ルネサス高崎)の監督となり、三部リーグだったチームを一部リーグにし、全日本総合選手権五回優勝、日本リーグ三回優勝という快挙を成し遂げた。
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一九五三年埼玉県生まれ。中学一年からソフトボールを始める。星野女子高校卒業後、ユニチカ垂井で活躍。八五年からは日立高崎(現ルネサス高崎)の監督となり、全日本総合選手権五回優勝、日本リーグ三回優勝を果たす。九七年より日本代表監督に就任。オリンピックでは二〇〇〇年シドニー大会で銀メダル、〇四年アテネ大会で銅メダルを獲得。世界選手権では九八年銅メダル、〇二年銀メダル。〇二年アジア大会では金メダル。〇四年のアテネ大会をもって代表監督は勇退。現在は、ルネサス高崎女子ソフトボール部の総監督をつとめる。![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)