最近、定年間近の団塊のサラリーマンは、石橋を叩きすぎるほどに慎重かつ安全な人生の選択をしようとしているのではないか、これは27年以上にわたって3000人を超える定年退職者の取材をつづけてきた私の実感である。過敏なまでにリスクを恐れているように思われてならない。
定年取材をはじめたころ退職者のなかには明治生まれが数多くいた。明治20年代に生まれたある男性は、5歳のときに日清戦争があり、それから日露戦争、第一次大戦、日中戦争、太平洋戦争と10年に一度の割合で戦争にさら曝(さら)されてきた。自身、二度も戦場に送りこまれたし、無事帰還しても職場では自分の席に後輩が座り、不快な日々を送ったこともあった。人生にはリスクがつきまとう、と身に染みるほど痛感させられた半生であったという。リスクに慣らされたせいか、定年を迎えてからも人生にリスクがあるのは当然と割りきり、退職金を元手に商売をはじめている。
明治30年代、大正、昭和ヒトケタと、生まれた年が10年ずつ遅れていくと、体験する戦争の数もひとつずつ減っていく。そして戦後生まれが定年世代となり、大胆な選択が失われつつある。昨今、大企業では退職金や定年後にうけとる年金の金額を在職中から1円と違わず通知するし、その資産運用についてもレクチャーがなされ、生活防衛型のライフスタイルを仕向けられる。さらにいうと男女平等の戦後教育をうけた世代は、退職金を独り占めすることなく、夫婦で均等に分けあう。
だれだってリスクを背負うような人生を送りたくない。だが、そのため定年後を生きる構想がしぼ萎(しぼ)んだり、生活防衛にあくせくする息苦しい暮らしに漬かってしまうようでは、後半生がつまらなくもある。はたして仕事において完全燃焼をしたと言いきれるサラリーマンはどれほどいることか。定年後、趣味に、ボランティアに、ライフワークにと、それまでの職場における満たされぬ思いをぶつける人たちは数多くいる。では仕事におけるリターンマッチはできないものなのか。定年退職者がおかれた現状では、再就職をするにしても、正社員待遇やフルタイム勤務はかなえられず、派遣社員、契約社員、嘱託、パートタイマーとして働く人たちが大多数である。起業をするとなると、リスクにくわえて、資金確保やら会社設立やら従業員募集やらの面倒がつきまとうせいか、その発想すらしないようである。
「人生に遅すぎるということはない」
インスタントラーメンの生みの親・安藤百福(日清食品の創業者・故人)は、半生を振りかえってこう語っていた。世界初「チキンラーメン」の商品化に成功したのは46歳のときであり、さらに「カップヌードル」を市場に送りだしたのは60歳をすぎてからのことである。「人生に遅すぎるということはない」という言葉は、私が取材した定年起業家たちも語っていた。
その一人に起業していなければ、これほど充実した人生を送り、長寿でいられたかどうかと思うような人物(明治43年生まれ)がいた。その経営者は一昨年、95歳で大往生を遂げたが、直前まで小さな旅行会社を営み、添乗の仕事に励んでいた。旧国鉄に勤務し、土讃線・土佐大津駅の駅長をつとめた54歳のとき、地域の人びとに呼びかけて旅行クラブを結成し、旅客の伸長率は、四国管内で第一位を記録した。その実直な仕事ぶりがみとめられて、56歳からの6年間、民間の旅行会社から誘われ、高知営業所で働くようになり、この間に業績も伸ばしたし、旅行業の免許も取得した。そして62歳のとき、みずから旅行会社を興した。
「旅行業の免許は3年ごとに更新する。つぎの書き換えができるかどうかわからんけんど、とにかく3年間頑張ってみようと」
更新のたびに「あと3年」と自身に言い聞かせながら、気がつくと30年以上も会社を経営していたのである。この間、旅行業界は熾烈な値下げ競争を展開し、従業員数名というこの小規模な会社からすると、もはや太刀打ちできないかと思われたという。「高い料金をいただくからには中身で勝負せんことには……」ということで、団体の旅行者たちが満足のいくサービスにつとめる。みずから企画した「北九州・平戸・壱岐の島島観光」(2泊3日)、「塩屋の岬・相馬野馬追い祭・安達ヶ原・袋田の滝観光」(2泊3日)といったチラシを手にして、これまたみずから結成した「旅を楽しむ会」のメンバーのもとをまわる。それは高齢の会員たちにとって、孤独を癒してくれる訪問であった。振りかえると、高齢社会を先取りしたような起業だったのである。
旅行の下見をするときは、宿舎の支配人だけでなく、調理場にも声をかけて「ここまで挨拶にくる添乗員はめずらしい」と感心される。このとき料理人たちが働く姿を写真におさめ、すぐさまプリントして送るようにしてきた。しばしば利用するホテルには、盆暮れに高知の名産品を届ける。つぎに訪れると、従業員から「みんなでごちそうになりました」と礼を言われる。当然、わが顧客へのサービスもちがってくる。観光案内がうまく、気働きをするバスガイドであれば次回から指名する。親しくなったガイドを高知に招待して「旅を楽しむ会」のメンバーとともに歓迎会を催していた。
起業は、ひとそれぞれの多彩な自己表現であると思いたい。次号からは閉塞したこの時代を少しでもきり拓こうとしている起業家たちを紹介していく。
夢とリスクの狭間で
(かとう・ひとし) 1947年、名古屋市生まれ。72年、早稲田大学政治経済学部卒業。
73年、在学中より勤務していた出版社を辞めノンフィクション作家として独立。以来、ノンフィクション作品を数多く手がけ、生活者の視点から一人ひとりに会い、取材執筆活動をつづける。長時間の取材をした定年退職者だけでも3000人以上にのぼる。無名の人々の生活を見つめて、変わりゆく日本人の姿を描き、新・日本人論を展開している。主著に、「定年後 豊かに生きる知恵」(岩波新書)、「介護の質に挑む人びと」(中央法規出版)、「社長の椅子が泣いている」(講談社)など。近著に「宿澤広朗 運を支配した男」(講談社)がある。
![[ファイブエル] 団塊世代のエンターテイメント誌 Entertainment Premium Magazine](/img/header_title_in.gif)

![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)