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由紀さおり 歌手

〝自分の歌〟を探して……

歌探しから「童謡コンサート」へ

木村― その間、もちろん歌探しの期間であったんでしょうけど、バラエティー番組にもよくお出になっていましたね。

由紀― 出ていました、ドリフターズさんの番組(フジテレビ系「ドリフ大爆笑」)にはずっと出ていましたし、思い悩んでいたときに出会った「家族ゲーム」(森田芳光監督、1983年)という映画もあります。

木村― でもやっぱりこだわるところは歌なんですか。

由紀― そうですね。バラエティーに出ていても、そのときに多少とも知られた自分の歌を持っていないとだめなんですね、売る品物がないわけだから。その品物をみんなにつくってもらうんだけれども、身につけてみると、丈が長かったり短かったり、どうもうまくフィットしない。つまりヒットにつながらないわけです。
 そこで自分で歌っていきたいものを自分でつくりだしていくしかないと、NHKホールでリサイタルを、それもオーケストラで歌おうと思ったんです。うちの母には「いい企画だけど、いくらお金がかかると思っているの。なんでも嫌がらずに仕事してお金をためないとね」と言われ、キャバレーで歌うことにしたんです。当時、キャバレーは全盛でしたし、私、キャバレーで歌うのも嫌いじゃなかったんですよ。どうやってお客さんを私に振り向かせるかは、ものすごくスリリングだったし、おもしろかったですね。 木村― 高校生の頃に出ていたのとはぜんぜん違うわけですね。今度は看板として出るわけですからね。 由紀― そうです。まがりなりにもヒット曲があって、本日のショーゲストとしてそこに立っているわけですからね。でも男の歌い手さんは、ホステスさんがファンだったりすると、お客さんに「ちょっと黙んなさいよ。私、歌聞いているんだから」って言えるけれども、ホステスさんが私のこと嫌いだと「あんな子の歌、聞かなくていいわよ」ということになるわけでしょう。だからやっぱりホステスさんがカギでした、私たちにはね。

木村― ああ、なるほどね。

由紀― それでアンコールの拍手をもらえないと、次に声がかからないということになりますから、最後の1曲に、これを歌いますというときに、ガーッと拍手がこなきゃならない。やっぱりそういう歌を持ってなければだめということをひしひしと感じましたね。

木村― それでお金もたまって、NHKホールでお姉さんとコンサートを開くわけですね。

由紀― そう。でも、NHKホールで80人ぐらいのオーケストラの人たちをバックに二時間半をひとりで歌うのはきついなあと思って、「どなたかゲストで出ていただけたら」と母に言ったら、「お姉ちゃんはどうなの」ということになったんです。
 ちょうど姉もアメリカから帰ってきたところで、二人でクラシックとポップスのコンサートをやったんですが、そこで二人がひばり児童合唱団で歌うことに目覚めたという演出で15分ぐらい童謡・唱歌を歌うコーナーがあったんですけれども、これが好評で、二人が歌う童謡・唱歌のCDをつくることになったんです。

木村― でも最初は、そんなにプレスしてくれなかったようですね。レコード会社は。

由紀― そうなんです。最初はこうしたCDをつくる部署もない状態でしたし、苦労して最初のアルバムをレコーディングして、リリースしても、ほんとに何百枚というような単位の枚数しかつくってくれなくて、私たちがきちんと手売りをするからもう少しつくってほしいという意味も込めて、レコードを売るためのキャンペーンとしてコンサートを始めたんです。
 最初は私たちと同世代の人たちが夜にゆったり聞きに来るのかと思ったら、家には年寄りや子どもがいるから昼間やってくださいという要望が多くて、昼間の公演を増やしたりしました。全国で公演するようになるのは3年目ぐらいからですかね。

木村― 童謡コンサートをぼくも何回か見せていただいたんですけど、客席のみんなが一緒に歌うのはすごくいいですね。自分の子どもの頃とかを思い出したりできますからね。

由紀― そうです。ほとんどみなさんがご存じの歌ですので。

木村― 童謡コンサートを始めてもう何年ですか?

由紀― 4月で22年目になります。

木村― ようやく探していた自分の歌にめぐり合えたということですかね。それともまだ道中なんですか。

由紀― うーん……まだ道中ですかね。いまは二人のユニットとしてやっているので、基本的に私の情感とかそういうものは封印している部分があります。でも、美しい日本語とその言葉に合った旋律を歌うということは、けっして嫌じゃないし、いまも同じ歌を年に何百回、何千回と歌っているけれども、嫌だと思ったことがない。難しいと思ったことはありますけど。
 でも、私には「夜明けのスキャット」「手紙」「ルームライト」といった過去の財産があって、それを聞きたいとおっしゃる方もすごくいらっしゃるので、そろそろ姉と私が、それぞれ目指してきたものをやろうということになって、姉は今年の6月にソロコンサートをやります。私は秋に創作ミュージカルに主演することになってます。
 それから2月には、私が女性合唱団のリーダー役をやらせていただいた『歓喜の歌』という映画が封切りになるんです。

木村― 最後に、どうすれば、由紀さんのように元気で前向きに生きていけますかね。

由紀― そうですね。やっぱり健康に留意するとか、運動をしなきゃとかって、みんな言うけど、言うだけでやらない。だから本気かどうかということかな。ほんとに長生きしたいのだったら……(笑)。

木村― そうですね。

由紀― きんさんぎんさんのお元気なときにお目にかかっていて、「お元気でね」と言ったら「あんたもね」って言われた感激は忘れられないの(笑)。やっぱり最後まで愛されるかわいらしいおばあちゃんになりたいなと思いますけれども、自分がこうありたいと思うものがあるかどうかですね。ピアノや歌を習っていても、それをどこかで発表する機会がなければぜったいだめなの。

木村― それはそうですよね。

由紀― いま女性合唱団の方たちが、介護施設に歌いに行ったり、若い保育士さんたちに歌を教えたりと、なにかの役に立てるとか、喜んでもらうとか、自分がやっていることを一歩でも半歩でもいいから進めていこうという気持がないと、ただ自分の楽しみのためだけにピアノ習ってますじゃ、あまり意味がないと思うので、ぜひ発表することを目指してほしいと思うんですけれども、いかがでしょうか。

撮影=瀬戸正人、構成=森國次郎

後記 対談を終えてすぐに、「たおやか」というキーワードが浮かんだ。「たおやか」とは、しなやかでやさしいさま。また、しとやかで優美なさまをいう。まさにその言葉がピタリとはまる。そんな中に、ふとお茶目な資質がのぞいたりもするチャーミングな女性である。お姉さんと二人で、末永く活躍してほしい。きんさんぎんさんを目指して。(木村)

(ゆき・さおり)本名、安田章子。群馬県桐生市出身。洗足学園第一高等学校、洗足学園短大卒業。子どもの頃、ひばり児童合唱団に所属し童謡歌手として活躍。CMソング、アニメ声優、NHK歌のお姉さんと活動の場を広げる。1969年「夜明けのスキャット」(東芝EMI)がミリオンセラーとなる。その後も「手紙」「恋文」などで数々の賞を受賞。また、83年に映画「家族ゲーム」(森田芳光監督)で母親役を好演し毎日映画コンクールの助演女優賞受賞。07年、映画「魂萌え!」(阪本順治監督)、今年2月公開の「歓喜の歌」(松岡錠司監督)に出演するなど女優としても活躍。一方で、「ドリフ大爆笑」「コメディーお江戸でござる」などコメディーにも出演している。1986年には姉の安田祥子と童謡コンサートをスタートさせる。美しい日本の童謡を次代に伝え、その継承、普及に努めた活動に対して、第42回菊池寛賞(94年)、第四回スポニチ文化芸術大賞優秀賞(96年)などを受賞している。童謡コンサートは、2000回を超え、4月には22年目のコンサートツアーが東京国際フォーラムからスタートする。www.yuki-yasuda.com

木村政雄編集長 Special Interview

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