「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」、ご存知、童謡「ふるさと」の一節である。少年の頃、兎を追ったこともなければ、小鮒を釣ったこともないのだが、この歌を聴くと何故か口ずさみ、郷愁にひたれてしまう。
四度目になるだろうか、「由紀さおり・安田祥子童謡コンサート」を見にいくたびに、そう思う。会場のあちこちから口ずさむ声が聞こえてきて、やがてコーラスのようにその輪が広がっていく。顔を見ると、各々が活き活きとじつにいい表情をしている。
置かれた境遇は違っても、皆が今や遠い想い出となってしまった昔に還って、忘れかけていた元気を取り戻せているのかもしれない。もう二〇年、二〇〇〇回を越すというこの童謡コンサート、よく考えてみれば、「消えていく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワインを守る」というスローフードの理念と似ている気がする。「日本の原風景や美しい日本語を未来に遺(のこ)したい」。食品と童謡の違いはあっても、その思いは同じである。
振り返ってみれば、我々は戦後このかた、多くのものを犠牲にしながら、欧米諸国に追いつき追い越すことを目指し、ひたすら猛烈なスピードで突き進んできた。そこで優先されたのは、「より速く」、そして「より効率的に」。まさに「ファスト」の世界である。
だがそろそろ見直してもいいのかもしれない。どこかで皆がそう思い始めている。今は亡き鈴木ヒロミツさんのコマーシャルソングではないが、「気楽にいこうよ俺たちは あせってみたって同じこと のんびりいこうよ俺たちは! 何とかなるぜ世の中は!」でいいのかもしれない。
そんな風潮が、「ファスト」の対極にある「スロー」という言葉を流行(はや)らせている。「スローフード」に「スローライフ」。「スロービジネス」に「スロータウン」。
時計に刻まれる単一時間軸のもと、効率や利便性を重視してひたすら新しいものを追求する「ファストな社会」に対して、自然のリズムなど多様な時間軸を認め、万事手間ひまをかけて物事を深く追求し、保存や再生に重点を置くという「スローな社会」の奨(すす)めである。
生まれ育ち、若い頃それほど好きでもなかった京都を、私が最近好んで訪れるようになったのも、あながち歳のせいばかりではないのかもしれない。止まったような時間の流れ、街の適度な暗さが妙に心地良かったりする。
ブームのあおりか、「スローセックス」なる言葉までが登場した。アダム徳永氏の『スローセックス実践入門』(講談社)は、何と二二万部のベストセラーになったとか。さすがに手に取る勇気はなかったが、モニターしたところによると、「女性を大切にしよう」と世の男どもに訴えかける主旨だという。やはりこれも、保存や再生に重点を置くということなのだろうか。ここでも「ファスト」は慎むべきであるらしい。
だが大事なことは「スロー」、「ファスト」、何れかを選ぶということではなく、もう一つのモデルを提示することにある気がする。野球の投手の場合でも、緩急の使い分けが出来て初めて一人前になれるというし、ダンスでも先生は「クイック・クイック・スロー」と教えている。「ファスト」の中に「スロー」を、「スロー」の中に「ファスト」をどう取り入れるかということが肝要であるようだ。
「世の中のスローブームに想う」
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