
それが番組を初めて1、2ヵ月たってちょっと変わってきたと言う。「知らないことは知らないって言おうよって。コメンテーターの方に任せるところは任せて懐に飛び込んじゃおうみたいな」。そのきっかけになったのが、「鶴瓶さんから落語の会をやるので手伝ってくれと言われて、ラジオで紹介したりとかナレーションかなって思ったら、舞台に立ってくれって。番組始めてまだ慣れない中で、やるかやらないか悩んでいたら、知り合いの方から『そんなところで労力使っているんだったら、その労力をやるって決めて行った先で使った方がいいよ』って言われて、ああ、そうだなぁって思って引き受けたら、これがえらいやっぱり大変で(笑)、睡眠時間やら移動のことやら、それに舞台に出る緊張感やら、鶴瓶さんに恥かかせちゃいけないし、舞台に日に二回出ながら大阪から東京に向けて放送するなんていうすごい状況になっちゃったんです。そういう状況で、全部ばっちり準備して番組に臨むなんていうのはしょせん無理で、その時に初めてフッと肩の力が抜けて、コメンテーターの方に素直に質問できるようになったんですね。それから放送がちょっと変わったんじゃないかなって思ってるんです」。
一つの番組が最初から好調というのはなかなかない。番組が上向いていくには何かきっかけが必要である。上柳さんも、今までそういう経験をいくつもして人気番組を作ってきた。
「テリー伊藤さんとお昼の番組をやったことがありまして、テリーさんもまだ40代半ばで今よりももっと怖い、口からウワーッと唾飛ばしながらやっている人で、そのテリーさんと、アシスタントではなくて並んでやれって言われて、どうしようと思ったんですね。最初はだからテリーさんとVS、対抗する構造を作るようにやってみたりして、でもどうにもならないんですよ。やっぱりテリーさんがすご過ぎて。そんな時にあるパーティでミュージシャンの大滝詠一さんとお会いして、ほとんど面識もなかったんですが、ラジオをよく聴いてらっしゃる方で、『うえちゃんねー、テリー伊藤っていう荒馬の背中に乗って一緒に走ればいいんだよ、面白い景色が見えるよー」って。それがけっこう目から鱗で、一緒に走っちゃえってなったら、それまでカローラ運転していた人がいきなりF1に乗ったみたいな感じでね。その時、ジャイアンツが日本一になったらリスナー1000人集めて東京ドームから多摩川まで提灯行列するんだぁって、テリーさんが言うんです。で、ホントにやったんですよ、距離は短くしましたけれど。そういう瞬間にやっぱり番組がグワーッと変わっていくのを体験しましたよねー」。
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