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「ラジオ少年」再びの夢

 大病を患って生死の境をさまよい、再び生きる運命をあたえられた男は起業に懸けた。芸術家が自分ならではの作品を創造するように、規模の大小を問わず起業もまた、男にとって究極の自己表現であった。
  原恒夫さん(昭和19年生まれ)は、56歳の秋、肝不全と腎不全により「死の宣告」(本人の言葉)をうけた。とりわけ肝臓障害においては、生体肝移植をしなければ助かる見込みはなく、三女の肝臓の一部をもらいうけた。一命をとりとめ、二度目の人生を生きるにあたっては「自分ができることに全力投球しよう」と意を決したという。
  自分らしさを発揮して、いったいなにができるのか。来し方を振りかえると「ラジオ少年」だった自分がそこにいた。
  小学生のころ自宅で鉱石ラジオを組み立てた。電気や電池にたよらずとも、雑音に混じって音声が聴こえてくると、胸がときめく。さらには短波ラジオや高度な真空管ラジオの製作にも挑んだ。聴くだけでは飽きたらず、高校一年生のときにアマチュア無線の免許も取得して「CQ、CQ」と世界にむけて呼びかけた。
  北海道教育大学を卒業して教師となり、「辺地教育」を志願した。赴いたのは北海道の渡島(おしま)半島の西端にある大成町であった。町立の小中学校があって、生徒は小・中合わせても30名ほど、教師は校長をふくめて5名にすぎない。新任教師は、アマチュア無線クラブを創設した。
  「街からは遠く離れた辺地であっても、アマチュア無線によって世界と繋がることができる。生徒たちはよろこぶし、校長も熱心に協力をしてくれました」
  理科の授業ではラジオも組み立てた。それはICチップのような、その中身の見当もつかないブラックボックスではない。一球、二球……と真空管の球数が増えるにつれて感度が良好になる仕組みと原理が明らかにされ、実感として理解が及ぶ教材である。科学とむかいあい、創造力が養われていく生徒たちの姿を目のあたりにした。技術立国・日本のモノづくりの中核となったのは、こうして理科の授業に眼を輝かせた戦後の「ラジオ少年」たちではなかったのか。
  昭和47年、27歳の原さんは文部省(現・文部科学省)の日本人学校派遣教師に応募して、タイに渡った。「技術科」の授業を担当し、実験・実習などの設備を整える。首都バンコクの電気街に出入りして、日本では製造中止になったラジオ部品のデッドストックがそこに大量にあるのを知り、雀躍する。当時、タイは戒厳令下にあったが、アマチュア無線のおかげで情報収集もできた。タイでは三年間暮らし、このとき発掘した商品ルートはその後の起業にいかされた。
  時は流れ、「ラジオ少年」の時代は過去へと押しやられてゆく。ゆとり教育は、実験や実習を圧迫し、かえってゆとりなき教育をもたらしたようでもある。アマチュア無線にしても、インターネットの台頭によって、愛好家は高齢化していった。社団法人・日本アマチュア無線連盟には約10万人の会員がいるものの、将来の活動を担う10代以下は0.5%にすぎない。
  50代になり、原さんは病に倒れ、生還した。この体験から定年を待たずして教職を去り、自分らしく生きる。「ラジオ少年」の胸のときめきを、いまの子どもたちに少しでも味わってもらうべく起業をした。退職金のなかから500万円を投じて、タイをはじめアジア諸国からラジオ部品を取り寄せ、それをキットとしてインターネットで販売することにしたのである。
  平成17年5月、北海道のアマチュア無線仲間を募ってNPO法人を結成し、まずは自宅に事務所を設けた。任意団体でもよかったがNPO法人の認証をうければ、世間もそれなりに一目おいてくれるであろうと考えた。ホームページ「ラジオ少年」(http://www.radioboy.org/)を立ちあげ、こう呼びかける。
  《ラジオを作ったことがない、これまでラジオの製作の本を読んでラジオ作りの基礎を勉強したことのない皆様へ/本会のラジオ教材は、指導者がいる(教えてくれる方は、お父さん、お祖父さん、近所のお兄さん、科学館の先生などでこれまでラジオ作りの経験のある方)という想定で作られています。(中略)教えてくれる方をさがしてから、御注文下さい》
  正直なうたい文句ではあるが、最初に読んだとき、これでは数多(あまた)ある通販ショップと変わらず、NPOとしての社会貢献の要素がどこにあるのかと私は疑問に思った。
  それでもゲルマニウムラジオのキットから真空管五球スーパー、トランジスタまで十数種類におよぶラジオ部品や製品の供給をおこない、電気街・秋葉原でも見つけるのが困難な部品を手に入れられるとあって、注文が相次いだ(ちなみに平成一九年、真空管ラジオは一〇〇〇セット、トランジスタラジオは二〇〇〇セットの受注があったという)。
  「当初、多くは小中学校生が買ってくれると思っていたら、工業高校の電気科の生徒や大学の電気通信科の学生からの注文がかなりありました。私らの時代とは異なり、ラジオ少年の年齢が上がっているようですね」
  事業は軌道に乗り、二年半後の平成19年10月、原さんは札幌市内のマンションを借りうけて、そこに事務所を移した。さらに工具や測定器をおいた20坪ほどの製作室も設けた。そこでは週末に小中学生が、平日には一般の人たちがラジオづくりをする。「ラジオ少年」は、起業の初心を忘れてはいなかったのである。

(かとう・ひとし) 1947年、名古屋市生まれ。72年、早稲田大学政治経済学部卒業。
73年、在学中より勤務していた出版社を辞めノンフィクション作家として独立。以来、ノンフィクション作品を数多く手がけ、生活者の視点から一人ひとりに会い、取材執筆活動をつづける。長時間の取材をした定年退職者だけでも3000人以上にのぼる。無名の人々の生活を見つめて、変わりゆく日本人の姿を描き、新・日本人論を展開している。主著に、「定年後 豊かに生きる知恵」(岩波新書)、「介護の質に挑む人びと」(中央法規出版)、「社長の椅子が泣いている」(講談社)など。近著に「宿澤広朗 運を支配した男」(講談社)がある。

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