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広島県 宮浜温泉

 二月は個展の準備などで忙しいので、一月中に二回分行っちゃおうということになって、広島県の宮浜温泉と山口県の湯田温泉に行くことになった。宮浜温泉といっても知らない人が多いと思う。ぼくも知らなかった。宮浜というのは宮島の対岸に位置することからこう呼ばれている。宮浜温泉といっても温泉宿が四軒しかなく、どうってことのない場所で浴衣着で辺りを散策するというような温泉情緒があるわけではない。だけどわれわれが泊ることになっていた石亭は外界と遮断された独自の空間が味わえるなかなかの旅の宿だったのでありますが、このことは後で触れることにして先に宮島に向かおう。
  宮島は、松島、天橋立と並んで日本三景のひとつで、「安芸の宮島」という名称で親しまれている。正式には厳島であるが、われわれは普通「宮島」と呼んでいるように思う。ぼくは「厳島」と島名で呼ぶよりは大鳥居と海上に浮かぶ社殿を頭に描いて「厳島神社」と呼んでいる。厳島神社は世界遺産にも選ばれており、日本人の精神の美の極致という感じだ。日本人の心がこれだけのものを創造する一方、昨今の日本人の心の乱れはどう理解すればいいのだろう。まあ、こんなことはどうでもよい。
  前日、広島地方は雪が降った。そんななか全国都道府県対抗男子駅伝競走大会が開催され、宮島が中継地点になっていたのを、ぼくはテレビで観ていた。もう一日早く来れば、ここで駅伝が見られたかもしれない。今日は雪こそ降っていないが、厳寒である。宮島に行くフェリーの待ち時間の間、近くのお土産店で暖を取った。フェリーの客はそんなに多くなかった。大半が観光客だと思うが、フェリーから吐き出された人数よりも宮島の鹿の方が目立つほど閑散としていた。軒をつらねたお土産店はどの店も同じような商品を並べており、これでよく商売が成り立つものだと感心する。そんな店でMさんがさっきから気にしているのは朱色の大鳥居の置物だ。芦原温泉に行った時も、Mさんは福助とお福さんの置物を買った。有名出版社の第一線で活躍するベテラン編集者が本来買うような品物ではない。まあ常識的に考えるとちょっとズレたセンスだ。つねに時代の先端のセンスを相手に仕事をしている者に限って、なぜかこのようなズレたセンスを好む場合がある。とはいうものの、一般の俗物的な三流の常識的人間が好む感覚とは本質的には異なる。つまり俗のなかに内蔵された原石のような美の欠片【かけら】にある種の価値を見出すのである。それらをキッチュと呼んでもいいだろう。キッチュとはまがいもの、俗悪の意であるが、この要素は意外にも高尚な芸術作品のなかにも見出すことができる。だから決してセンスが悪いわけではない。つまり頭からアカデミックなセンスをはずして生身の人間としてモノを見る時、このような物の中に「オッ」という価値を発見するのである。高尚な芸術を理解する一方で、このようなキッチュ感覚が認められる人間は美の許容範囲が広いということになる。だから今後もMさんがどんどんこのような品物を買うことをぼくは密かに奨励したいのである。ワッハッハッハッ。(くれぐれも騙されないように!)
  われわれが厳島神社を目にした時はちょうど潮が引いたあとで、地肌をむきだしにした州浜に海藻がへばりついていたが、そこを歩いている観光客もいた。どういうわけか、ぼくがここに来た時はいつも干潮時で海上に浮かぶ威容を誇る社殿は一度も見ていない。残念。廻廊で結ばれた海上社殿の造営を一段と引き立たせているのはなんといっても目に綾な神社固有の朱色である。また庇【ひさし】を支える組まれた無数の垂木の四角い切断面の黄色と所々に配置された格子の緑色のコントラストが観る者を平安の時代に時間移動させてくれる。晴れた日の満潮時に見れば、この荘厳華麗な姿がより魅力的に伝わったかもしれない。


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